「ライトオタク」をめぐるブログ言説分析の試み —オタク文化の地図を描く—

2017年09月02日 15:05

キーワード:ライトオタク,言説分析,ニコニコ動画,ファッション的消費


Ⅰ はじめに

(1)問題の所在
 アニメ、マンガ、ゲーム、美少女フィギュアといったオタク文化の消費者層は今、微妙な変化をたどっている。その微妙な変化を表すのように登場したのが「ライトオタク」と名付けられた層だ。彼らはこれまでに指摘されてきた従来のオタク—アニメやマンガ、ゲーム、美少女フィギュアに没頭し、東京・秋葉原や大阪・日本橋で消費活動する人びと—とは異なり、その名のように「ライト」にオタク文化を消費しているという(和田,2007)。
 オタクたちの活動が1年で最も活発になるのが夏に開催される「コミックマーケット」(通称コミケ)であろう。2010年8月17〜19日の「コミックマーケット72」の総来場者数は約55万人であった(1)。過去最高の来場者数で、今年も外国人の姿が目立ったという。55万もの人々が日本のアニメやマンガ、フィギュア等のキャラクターグッズやコスプレに関心を寄せるなかで、2010年8月17日に、次のような記事がインターネット上に掲載された。

 今回も56万人と過去最高の来場者を記録し、ますます盛り上がるコミケだが、あるゲームメーカーの展示担当者は「人数は多いのだが、全体的に“薄く”なった気がする。コアなギャルゲーのグッズなどは売り上げがいまいち伸びきらない。オタクのライト化が進んでいるのでは」という声もある。不況に強いとされるエンターテインメント産業だが、コミケの企業ブースの動向で未来が占えるのだろうか(2)。(傍線は引用者による)



 従来「オタク」と呼ばれる人々は、「子ども文化に大人が耽る者として、軽蔑の対象」(田川,2009:73)であり、1980年代に起こった、幼女連続殺人事件をきっかけに、マスメディアなどから、「社会性がない」「子ども趣味から卒業できない」などという、ステレオタイプでマイナスなイメージを付与されてきたとされるが、近年はアニメやゲームのコンテンツ産業の発展、オタク青年の恋愛を描いた映画やドラマなどから、消費者としてのオタクが産業においてプラスのイメージをもたらし、マイナスイメージは徐々に払拭されつつあるといえる。そして、文化批評の場だけでなく、アカデミックな世界においても、社会学、とりわけ文化社会学を中心に「オタク学」や「オタク論」「オタク文化論」というような分野が形成されつつある。また、消費者としてだけでなく、海外の研究者も日本のオタクやオタク文化に関心を寄せているほか、日本人によるオタク研究の世界的な発信が行われている(Taneska,2009;Azuma,2009など)。
 そのような豊富なオタク研究に「ライトオタク」の動向が与える影響とはいかなるものだろうか。「ライトオタク」といわれる層は、従来のオタクとどう異なっているのだろうか。また、「ライトオタク」の登場の間に、オタク文化や言説にどのような変化があったのだろうか。

(2)本稿の目的と方法
 本稿では「ライトオタク」をめぐる言説について若干の分析をおこなう。本稿が言説分析を用いるのは、なぜ「ライトオタク」という言説が成立したのかを、現在と過去の言説を収集することで因果論的に説明することが可能だからである。言説分析において、ある言説は他の言説との相互作用によって成立し、社会の変化が反映されるものである(岡本,2008)。相田美穂が、オタクというカテゴリーが登場した1983年から2005年までの言説を分析し、その間に、明らかに言説の変化があったと論じたように(相田,2005)、オタク論あるいはオタク文化論において言説分析の手法はしばしば用いられており、歴史的な探求がなされているのである。
 ただし、相田が言説分析の題材として扱ったのは東浩紀や大塚英志、宮台真二などの文化社会批評家たちのものであったのに対し、本稿では文化批評誌『ユリイカ』2008年10月増刊号「総特集:初音ミク—ネットに舞い降りた天使」の対談における「超ライトオタク」に対する反応を契機としたブログ言説群を用いる(3)
 もう一つ、本稿が目指すのは、文化地理学におけるオタク研究のパースペクティヴを確立させ、オタク文化の地図を描くことにある。そもそも人文地理学におけるオタク研究の主流は、オタクの消費行動と秋葉原に代表される、オタク文化の地域ブランド的特徴を論じた経済地理学的考察(菊池,2008)や、近年見られる「聖地巡礼」をめぐる観光地理学的考察(山村,2009;岡本,2009;岡本,2010など)であり、文化地理学におけるオタク研究は個々のアニメやマンガ作品の分析を通した、間接的な研究がいくつかある程度である(佐々木,2009a;佐々木,2009b;佐々木,2010など)。
 文化地理学におけるオタク研究の可能性の一つとして、カルチュラル・スタディーズを受け入れた1980年代以降の文化地理学のパースペクティヴの一つ、文化唯物論の立場に立てば、テレビや雑誌、巨大電子掲示板、ブログなど様々な言説の衝突によって日々変化しつつあるオタク文化をダイナミックにとらえ、それがどのような人びとの政治的・経済的力関係によって生み出されて維持されてきたかを問うことが可能だろう(4)
 いずれにせよ「ライトオタク」への文化地理学的アプローチは、オタク文化の地図を描く一つの試みと位置づけても過言ではないだろう。
 次に、これまでのオタク言説を振り返ることで、オタクに関する過去の言説を取り上げたい。
Ⅱ 従来のオタク言説とオタク研究の課題

(1)オタクの定義と言説
「オタクを定義づけることは、容易ではないことを多くの論者が指摘している。オタクの消費対象によって定義するか、感受性やメンタリティによって定義するか、行動や態度によって定義するかによって、さまざまな定義が可能である。そして、一度定義すれば、その定義ではカバーできない層を生んでしまうことになる。」(田川,2009:73-74)とあることからも、オタク言説の変化の一面をうかがえる。
 オタクの定義に関する言説のなかでも、田川は東浩紀、斎藤環、森川嘉一郎、大澤真幸らの言説の論点を4つに整理している。すなわち、①男性のオタクのほとんどが、アニメやゲームに登場する少女たちをセクシュアリティの対象物として見ているという点、②オタクは二次創作を消費することによって虚構を重視・保持・レベルアップする態度を持つ点、③「萌え」の語に代表されるように、特定のキャラクターあるいはキャラクターの特定要素に惹かれ、物語よりもキャラクターを消費するという点、④オタクというカテゴリーはオタク自身によって定義され語られるという点である(田川,2009:74-77)。本稿ではこれら4つの論点を過去の言説とみなし、現在のオタクの言説—「ライトオタク」—との対比を通して理解を深めたい。

(2)オタク研究の課題
 そもそも「オタク論」がこれまでに扱ってきた大枠のテーマにはおおむね次の4点が挙げられる。①オタク作品論、②オタク文化論、③オタク行動論、④オタク市場論である(田川,2009:74)。①や②については、従来のオタク論の主流なテーマであったのに対し、③や④は特に2000年代以降に議論が重ねられている。オタク行動論でいえば、現在はアニメの舞台となった場所への「聖地巡礼」をするオタクたちの研究が観光学の分野で始まっている。
 田川はこれまでのオタク研究で言及されてこなかった点を2つ挙げている。すなわち第1に、女性のオタクに関する議論。それは、女性のオタクが少ないからではなく、自らをオタクと語る女性が少ないことや、オタクという言葉が、オタクそれ自身が男性性をはらむ用語であったためである。女性のオタクたちは「腐女子」という独自のカテゴリー集団を形成している。そうしたジェンダー関係を含めた、男性/女性のオタク論を検討していくことである。第2に、現在のオタク論の大半が自らの印象や体験に基づく批評であり、実証的な研究がなされていないこと。田川は、この批評は実証的ではないとしつつも、「オタクとは、自らをオタクと定義し、オタクアイデンティティを獲得したもの」(田川,2009:78)に基づくならば、オタクたちのライフヒストリーを明らかにすることが、今後の研究において有効的であるとしている(田川,2009:78)。
 本稿が試みる「ライトオタク」の言説分析はオタク研究の主流の延長上にあるといえるだろう。ただし、オタク言説は東や斎藤、森川のような強大な論客たちのみによって独占的に表象されるべきではない。本稿がブログ言説を用いるのは、オタクたちの「自己言及」に基づく豊富な言説があるにも関わらず、これまでのオタク研究においてブログ言説を積極的にデータとして取り入れるものがないためである。


Ⅲ 全体的考察

(1)「ライトオタク」言説群は何を掲げているのか
 「ライトオタク」言説群は、2008年12月頃に増大した。そのきっかけを、文化批評誌『ユリイカ』2008年10月増刊号「総特集:初音ミク」の東浩紀、伊藤剛、谷口文和、DJテクノウチ、濱野智史らの対談に見ることができる。以下に対談の一部を示す。

濱野 そういう状況があって、昨日、DENPA!!!(5)というテクノウチさんもDJプレイしたクラブイベントがあったんですけど、そこではオタクもコスプレイヤーもクラバーも、トライブにかかわらずみんなで神曲=電波ソング(6)を大熱唱するに至っている。彼らが一部で言われるところの第四世代オタクなのかな?
テクノウチ 私は、「超ライトオタク」と言っています。『電車男』(7)によってオタクと言ってもあまり恥ずかしくない土壌ができたので、ニコ動(8)で東方(9)を見て「俺、オタクなんだぜ」とむしろ胸を張って言うような(笑)、オシャレな格好をしたオタクが超ライトオタク(東・伊藤・谷口・DJテクノウチ・濱野,2008:148)。(言説①)(脚注は引用者による)



 この『ユリイカ』の対談をきっかけに、2008年12月15日から28日(言説②〜⑫)にかけて、インターネットのブログ上で「超ライトオタク」「ライトオタク」が話題となった。その後、2010年2月から3月にかけて再び「ライトオタク」に関する記事が書き込まれた(言説⑬〜⑮)。そして、本稿冒頭で挙げた「オタクのライト化」を受けて言説⑯が書き込まれた。本節では2010年8月までに筆者が収集した以上の言説に、時系列で番号を付して「ライトオタク」の言説分析をおこなう(表1)。


表1 「ライトオタク」に関する言説一覧
言説No.記事タイトル出所
言説①「初音ミクと未来の音—同人音楽・ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」『ユリイカ 2008年10月増刊号—総特集:初音ミク』
言説②超ライトオタクの誕生『あしもとに水色宇宙』2008年12月15日http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20081215/p3
言説③超ライトオタクは誕生していない。ぬるオタが歴史から抹消されている『はてな匿名ダイアリー 』2008年12月22日http://anond.hatelabo.jp/20081222122907
言説④自分語り133  DENPA!!!「超ライトオタク」 言説『HARDCORE TECHNORCH』2008年12月22日http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
言説⑤誕生でも発見でもなく、越境が始まったんだと思う『未来私考』2008年12月24日http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081224/1230079830
言説⑥「脱オタ」が無意味になる時代は来るか?Something Orange 2008年12月24日http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081224/p1
言説⑦若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化『未来私考』2008年12月25日http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081224
言説⑧「超ライトオタク」はオタクではない。だがそれがいい『ニワカクヲタ』2008年12月25日http://d.hatena.ne.jp/kaizenai/20081225/1230147076
言説⑨オタクもサブカルもいないって話『リビングルームで旅に出る』2008年12月25日http://d.hatena.ne.jp/mokkei1978/20081225/p1
言説⑩「超ライトオタク」は、オタク文化に流入してきているのではない。オタク文化を自分の文化に持ち帰っている『世界のはて』2008年12月26日http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20081226/1230217280
言説11「オタク」であることのプライド『未来私考』2008年12月27日http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081227/1230338245
言説12もうニコ厨でよいんじゃないだろうか『未来私考』2008年12月28日http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081228/1230456050
言説13「オタク」も「一般人」も死んだあとに『Something Orange』2010年2月25日http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100225/p1
言説14世界はそれをニコ厨と呼ぶんだぜ『未来私考』2010年2月26日http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20100226/1267159138
言説15オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた『シロクマの屑籠(汎適所属)』2010年3月7日http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100307
言説16「真に個人的な言葉」を吐くオタクと交話的価値としてのライトオタクの話『ポンコツ山田.com』2010年8月28日http://d.hatena.ne.jp/yamada10-07/20100822/1282468192


 まず、ライトオタクが存在しているかどうかだが、オタク文化をライトに消費する層は言説①以前からあったとする言説が多い。

 「ニコ動によって、オタク文化をファッションとして消費しているライトなオタク」が出現しているなんていう言説はかなり前から存在していて、今更な感じがあるけど、こんなクラブ系イベントがあると聞くとちょっと衝撃を受ける。(言説②)



 まず、オタク文化をライトに消費する「オサレ」な層がいきなり現れたかというのは間違っている。急に出現したかのように感じるのは錯覚だ。
 このように横断的に消費していく層というのはずっと以前からいる。急に出現したかのように感じるのはやっとそのような層の声がインターネットなどによってオタクにも届くようになっただけであり、または可視化しただけだ。(言説③)


 もっとも、どうやら「ライトオタク」とでもいうべき連中が増えてきているようだ、という言説はニコニコ動画以前からあったものです。
  ぼくの場合、初めて「ライトオタク」という用語を目にしたのは、岡野勇さんの長文記事「今、そこにあるオタクの危機」でした。(言説⑤)



 そうしたライトオタクの登場の要因に、オタクの質の変化やこれまでオタクとは認識されなかった新たな層が流入してきたことを挙げている言説や、そもそもオタクという共同体は実在しないとする言説がある。

 僕の実感としては、本格的にオタクがライト化というか、オタクじゃなかったオサレな人達がいっぱいオタク文化に参入して来ているんだなと本当に思うようになってきた。(言説②)



 少し前あたりから、オタクの一般化そして質的変化がどんどん激しくなって、オタキングあたりに「オタクは死んだ」と嘆かせる状態にあったわけだけど、今回の件、すなわち「超ライトオタク」という概念の導入により、どうやら「オタク」と「超ライトオタク」は完全に分離するに至ったようだ。(言説⑧)



 だって、オタクやサブカルという共同体はもう実質的には存在しないと散々言われてきたわけで。
 誰かが「オタク」であるかないかなど、最初からどうでもよく、単に「アニメが好き」「ゲームが好き」「マンガが好き」でいいだけの話です。(言説⑨)



 彼らの認識からすれば、ライトなオタクが増えたというより、オタクじゃないやつがオタク文化圏に入ってきて同人ショップやコミケに出没している、という捉え方になってくるのだろう。(言説⑮)



 これに対して、言説⑩では、オタク文化への流入を否定しており、クラブ文化が独自にオタク文化を取り入れたとしている。また、言説⑦のように、オタク文化とクラブ文化との交流が起こっているとする言説がある。

 僕が思うに、テクノウチさんの記事で語られるような「超ライトオタク」は、オタク文化に「流入している」のではない。彼・彼女等は、ファッションなり音楽なりの文化を自分の「住み家」として持ち、そこにオタク文化のエッセンスを「持ち帰って」楽しんでいるように見える。(言説⑩)



 ”筋金入りのオタク”ではない人達も『東方』や『アニソン』などを楽しむようになり、オタク文化がクラブミュージックやファッションのような他文化と交流するようになってきている、という現状認識は、じつにその通りと思う。(言説⑦)


 また、大半の言説が、「ライトオタク」が登場してきた要因について、オタクに対するイメージの変化や、ニコニコ動画で消費される同人ゲーム音楽やボーカロイドを挙げる言説が多い。

 『電車男』によってオタクと言ってもあまり恥ずかしくない土壌ができたので、ニコ動で東方を見て「俺、オタクなんだぜ」とむしろ胸を張って言うような(笑)、オシャレな格好をしたオタクが超ライトオタク。(言説①)



 そもそも、オタクの定義自体が電車男やハルヒ(10)やニコ動等でかなりあやふやになってきているような気がする。一定以上の知識と教養を兼ねているのがオタクなのか、オタク文化がただ好きなのがオタクなのか、今やどっちかよくわからない。(言説②)(脚注は引用者による)



 秋葉原やコミケなどの敷居が低くなっているのに加え、ニコニコ動画のような、気軽につながりやすい場が整備されたことによって、こうした動きが加速された、というのもなるほどと思う。(言説⑤)


 オタクという語にしても、流通し始めた当初はアニメに熱中する人たちの意味合いだったのが、今日では非常に幅広いジャンルをカバーする言葉になっているわけですしね。(言説⑭)



  だけどニコニコ動画で初音ミク(11)やとかちゴールドなどを嗜み、その背景にある同人音楽やクラブミュージックというものの存在を知り、そういった現場に参加したいとすら思っている。そして実際に飛び込んで行っている人たちが大量に発生している。(言説⑤)(脚注は引用者による)



 この文化越境を触媒したのが、ニコニコ動画という場なのは間違いない。文化の交差点としてそこに行けば違う種族の人たちと一体化して溶け合う名状しがたい体験を得ることが出来る。(言説⑤)



 秋葉原やコミケなどの敷居が低くなっているのに加え、ニコニコ動画のような、気軽につながりやすい場が整備されたことによって、こうした動きが加速された、というのもなるほどと思う。(言説⑦)



 最近の同人・アニメ・ボーカロイド周辺の流れは、「オタクじゃない奴が入ってきた」という価値観と「オタクが増えた」という価値観のギャップを、今まで以上に含んでいるように感じられる。(言説⑮)



 その上で、「ライトオタク」の特徴に、オタクの持つコンプレックスを持ち合わせていないとする言説、そうしたコンプレックスを抱えていないオタクが多数派になることによって、従来のオタクが少数派となり、オタク文化において生産される作品にも変化が訪れるだろうとする言説がある。

 そして彼らには何よりも「“オタク・おたく”としてのコンプレックス」がありません。コンプレックスがないオタクというモノがどれ程強烈な熱狂を産み出すのか、これは実際にDENPA!!!に出てみるまで想像も出来ないことでした。彼らは知らない曲と知らないキャラと知らないノリを次から次へと取り入れ、爆発的に肥大していきました。(言説④)



 客層には服飾系専門学校出身の人とそして現役読者モデルが多く、信じられない程の美人・イケメンと信じられない程ハイレベルな手作りコスプレがフロアを埋め尽くします。(言説④)


 ライトな消費者が増えればその分だけ、コミュニケーションや異性にまつわるコンプレックスを抱えたオタクの割合は少なくなってくる。また、駆け込み寺としてオタク界隈を選ばざるを得なかったような、苦悩する人達も少数派になってくる。(言説⑦)


 ライトユーザーがこれから多数派になっていく限り、ライトユーザー達がキモがるような作品・ライトユーザー自身がキモがられるような作品は、隅っこのほうに追いやられずにいられない。例えば幼女や処女に拘泥するようなオタク向けコンテンツなどは、この“脱臭”プロセスを通して、多数派から少数派へ、そして天然記念物へと変貌していくのではないか。(言説⑦)



 他方で、ニコニコ動画に没頭するを指すネットスラングの「ニコ厨」としてカテゴライズしてもいいとする言説や、「ライトオタク」を、オタクと非オタクを意識しない「ノーボーダー」と定義する言説、そもそもライトオタクやオタクとカテゴライズする必要はないとする言説がみられた。

 マンガ・アニメ・ゲームの領域を趣味にする人たちが全員オタクとしてくくられる。じゃあそれ以外のマニアックな趣味はオタクではないのか?というと含む場合もある、消費行動で切り分けようとしても、それもまたてんでバラバラだったりする。とても曖昧なんですよね。(省略)それで、オタク第4世代=超ライトオタクを指し示す言葉として、「ニコ厨」と言い切ってもいいんじゃないかという気がしてきています。(言説⑫)



 超ライトオタク、ノーボーダー、敷居の住人…なんでもですが、境界線上で踊る事を愉しんでいる人たちは、「ニコ厨」を名乗るといろいろ楽だよ!ということが言いたかっただけなんですね。ただ、この「ニコ厨」という分類は一つだけ重大な問題があって、「ニコ厨」にはまず第一義として、ニコニコ動画を良く見る人、という意味合いになっちゃんうですよねー。(言説⑭)



 さて、ここでは仮にその「名前のない集団」が生まれつつあると仮定して、それに名前を付けてみることにしよう。「オタク」と「非オタク」の境界線を意識しないということから、「ノーボーダー」というのはどうだろう?(言説⑫)



 最近盛り上がってきたある文化ジャンルのファンを、「超ライトオタク層」や「第四世代オタク」なんていう新たな共同体名でラベリングする必要性が全く理解できないんですよ。単に、コスプレとクラビングが好きな人たちが集まって面白いイベントをやってるよ、でいいじゃん。(言説⑨)



 そして、「ライトオタク」とオタクの違いを明確にしている言説が、「作品の価値を語らない」ということと、自らをオタクとも「ライトオタク」とも意識せずにオタク文化を消費しているとする言説である。

 オタクは、過去20年くらいの歴史の中で、自分たちの好きなものを守るために、いい歳して子供のオモチャに拘泥するような自分たちの在り方を肯定するために、ひたすらに作品の価値を語り、歴史を紡いできた。その紡いできた歴史の上に、今日のいわゆるオタク文化の隆盛というものが、ある。そう思っています。(言説⑪)



 同じものを受容しながら、語る人間と語らない人間がいる。そもそも、この「語る」という行為を積極的に行う人間が、オタクという種族のベースを作っていった。当たり前の話ですが、語らなければ外部から観測ができないんですよね。だからアニメ・マンガ文化圏の影響の範囲が、「語るオタク」の観測範囲内のものに限定されていて、それのみが「オタク的趣味」として世間に認知されてきたという歴史的経緯があるようにも思う。(言説⑤)



 オタクは「ここで語る機会を逸したら」自分の言葉・意見が「もう誰にも届かず、空中に消えてしまう」と思い、「言葉を選」んで「情理を尽くして賛同者を集め」ようとする。日頃から抱えていた自分の考えを誰かに共感してもらうためには、そうしなければならないのです。
 翻ってライトオタクは、別に「どうしても言っておきたいこと」はないし、「ここで語る機会を逸し」ても特に困らない。(言説⑯)



 DENPA!!!のお客さんは自身を「超ライトオタク層」と評されても不快感を感じない自意識を持っているのではないか(後略)(言説④)



 ノーボーダーはもはや「じぶんはオタクではない」とすらいわないだろう。かれにとって、他人にどう評されるかはどうでもいいことだ。「ノーボーダー」という呼称すら、ノーボーダーによってはどうでもいい。ただ、かれは漠然と「オタク」という言葉に違和感を感じるはずである。なぜなら、かれらは「オタク趣味」といわれるジャンルを愛好してはいても、それだけを特別視してはいないからである。(言説⑫)



 以上から「ライトオタク」をめぐる言説には以下の特徴が挙げられる。第一に、「ライトオタク」の存在は言説①以前からあった。ただし、ここでいわれている「ライトオタク」とは、従来のオタクの質の変化によるもの、これまでオタクとは認識されなかった新たな層の流入によるもの、クラブ文化層が独自にオタク文化を取り入れてきた層とするもの、オタク文化とクラブ文化との交流が起こっているとするもの、そもそもオタクという層は実態として存在していないとするなどのばらつきがある。
 第二に、「ライトオタク」が表れてきた背景には、アニメやマンガ、ゲームに没頭する人がオタクであるとする固定観念の揺らぎと、それまでオタクが訪れていた秋葉原やコミックマーケットに、オタクではない層の訪問が目立つようになったとする点、クラブ文化層や「ライトオタク」層が、ニコニコ動画などインターネットを利用して『東方Project』に代表される同人音楽やボーカロイドを視聴し、オタクとは異なる消費行動をしているとする点である。特に、ニコニコ動画において様々な文化を持つ層が交差しており、それが「ライトオタク」の消費行動に影響を与えているとする言説が目立った。
 第三に、彼ら「ライトオタク」は、従来のオタクが持つコンプレックス—他者とのコミュニケーション能力—を抱えていないという点。クラブイベント「DENPA!!!」を訪れる「超ライトオタク」は「オシャレ」な層であるとする言説からも顕著である。
 第四に、「ライトオタク」は従来のオタクのように作品の価値を語らず、また自らをオタクとも「ライトオタク」とも意識せずにオタク文化を消費している点である。

(2)誰にとってのオタク文化か
 次に、田川が整理した過去のオタク言説の特徴—「セクシュアリティ」「二次創作消費」「萌え」「自己言及」—を用いて、それぞれの言説を表2に整理すると、「ライトオタク」言説では「セクシュアリティ」や「萌え」の項目ほどんど言及されていない。これは、自己言及の項目に分類される、従来のオタクが抱えているコンプレックスを持ち合わせていないことに起因しているのではないだろうか。そのような「オシャレ」な層は美少女をセクシュアルな対象物として見なしておらず、そのような態度は、オタク市場にも影響を及ぼすとする言説もある。

 エロ度の高い幼女コンテンツや、コンプレックスの塊のような男性主人公が美少女ハーレムに耽溺するようなコンテンツは、ライトオタク達への受けの悪さや他文化圏との相対比較者への受けの悪さから、敬遠されるようにらるだろう。ライトな消費者にはドン引きされそうな“癖のあるコンテンツ”は、市場淘汰のもと、少なくなってくるのではないだろうか。(言説⑦)



 前節でも見たように、ニコニコ動画に投稿される同人音楽やボーカロイドなどの「二次創作消費」への言及が目立った。また、「自己言及」については、言説数は多いが、従来のオタクの「自己言及」と対比する形で、「ライトオタク」は自己言及しないとする言説がある(言説⑯)。
 また、「誰にとってのオタク文化か」という部分を考えると、「ライトオタク」と従来のオタクとの日常的な対立・衝突によって、オタク文化そのものがダイナミックに変化しているようである。それは「ライトオタク」の登場によって、オタク自体の定義も変化しつつあることを意味している。

 旧来からのオタク達……とりわけ、ライトオタク的な変化についていくことの出来ない、保守化した中年オタク達……は、オタク界隈から放り出され、文化的に難民化するのではないだろうか。(言説⑦)



 同じ“オタク”という言葉を使っているにも関わらず、「オタクじゃない奴が入ってきた」という人と、「オタクが増えた」という人では、オタク認定の基準にかなりの差があるようにみえる。そして両者の間には、微妙な対立意識すら潜んでいるようにも感じられる。(言説⑮)



表2 オタク言説の特徴による「ライトオタク」言説の分類(12)

a)「セクシュアリティ」b)「二次創作消費」c)「萌え」d)「自己言及」e)その他
言説⑦言説①,②、③,
⑤,⑦,⑩,⑪,⑮
言説⑪言説②,③,④,⑤,⑥,⑦,⑧,
⑨,⑪,⑫,⑬,⑭,⑮,⑯
言説①,④,⑤,⑥,
⑩,⑫,⑬,⑯


 上記4つに当てはまらない「その他」の項目では、クラブ文化とオタク文化がどのようにリンクしているかを論じたものがある。テクノウチの、ニコニコ動画のコメント弾幕(図1)とクラブイベントのアオリとが合致しているということを指摘していることについて、言説⑤では、

 そもそもクラブに興味がないオタクには「クラブノリは味わいたい」という欲求自体が元々存在していなかったんですよね。しかし、それにも関わらずニコニコの弾幕は、気持ちがいい。今まで斜に構えて馬鹿にしていたものが、実はとても気持ちがいいものだということに初めて気づかされた。それくらい言っても良いように思うんですね。何かわからない。けれどもこれは間違いなく面白いものだ。であればこれを語らなければならない。なぜなら語ることがオタクのアイデンティティなのだから。そうして弾幕文化を語ろうとしたときに、オタクがクラブ文化圏と接触する必要性が生まれてきた。(言説⑤)



というように、その場にいる人間たちが「盛り上がり」を共有することの気持ちよさが、2つの文化を接近させていると指摘している。

図1 ニコニコ動画における「弾幕」(13)
ピクチャ 2


 そのような、その場にいる人間たちの「盛り上がり」を共有する態度は「ライトオタク」を特徴づけている。彼らは単にオタク文化をライトに消費するのではなく、オタクとしてのアイデンティティがあるのでもない。そこにあるのは、他者との「盛り上がり」を共有する態度である。その態度において、彼らにとってオタク文化は手段なのである。

 コミュニケーションを立ち上げるためのコミュニケーションには、まさに「他人と共通の話題になるかどうか」が大事なのであって、他人と衝突しかねない自分固有の意見なんていらないんです。「誰でも言いそうなこと」だからこそ、コミュニケーションの立ち上げが容易にできるのです。
 「ライトオタク」がそういう話で盛り上がるのは、小中学生が昨日見たテレビ番組で盛り上がるのと変わりはありません。(言説⑯)



 結果としてニコニコ動画はオタク言説の「二次創作消費」を伸ばすに至った。ニコニコ動画の影響は、ブログ言説のなかでは「文化越境」「文化の交差点」(言説⑪)とも表現されている。そのような伸びの要因を「ライトオタク」のみに求めるのは危険だが、クラブ文化のなかにあるオタク文化のように、作品の価値を他者と語るよりも、他者とその場を共有する、気軽につながるために消費する態度—ファッション的消費—が目立っている。


Ⅳ おわりに

 まとめると、「ライトオタク」は単にオタク文化をライトに消費する層ではない。従来のオタクのように、秋葉原やコミックマーケットだけでなく、ある者はニコニコ動画で、ある者はクラブイベントで消費している。それは、従来のオタクからすれば、新たな層の流入や、明らかにその性質が変化しているとするなど見方は様々だ。彼らと従来のオタクとの間にははっきりとした違いが見られる。一つが、コンプレックスからくる「セクシュアリティ」と「萌え」の性質を持ち合わせていないこと。もう一つが、彼らは作品の価値を語ることもなく、自身をオタクとも「ライトオタク」とも意識していないという点である。
 その背景には、ここ20年ほどの間のオタク言説に変化が生じているという見方ができる。それは、アニメやマンガ、ゲームに没頭する人がオタクであるとする固定観念に意味がなくなりつつあることに起因している。その中心にあるのが、ニコニコ動画における「二次創作消費」の伸びであろう。「ライトオタク」たちはオタクと異なり、作品の価値を他者と語るよりも、他者とその場を共有する、気軽につながるためにオタク文化をファッションのように消費しているのだ。「ライトオタク」言説はそのような意味で、現代のオタク言説とすることができる。
 オタクのインターネットでの消費行動は海外の研究者からも注目されている。インターネット上の様々な技術(14)は、オタクは単なる文化の受容者・消費者としてだけでなく、そうした技術を用いてオタク文化を再生産しているとする論考も見られる(Taneska,2009)。
 本稿ではブログ言説を用いて「ライトオタク」言説群を分析した。課題として残るのは、サンプル数の圧倒的な不足と、ブログ言説分析の限界—現象としての「ライトオタク」の実証—が見られることである。文化地理学的アプローチの模索のほか、田川も指摘した通り、オタク・「ライトオタク」たちのライフヒストリーを用いて実証することが、今後のオタク研究において有効的であろう。



(1)「オタクは本当にライト化しているのか?」『痛いニュース(ノ∀`)』2010年8月22日 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1531241.html
(2)ニュースORICON STYLE「コミケ72、来場者数は過去最高の55万人!」http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/47335/
(3)本稿で取り上げる言説②〜⑯がそうである。
(4)このような新しい文化地理学においては、ジェンダー論の影響を受けたフェミニスト地理学(ジェンダー地理学)による、オタクの男性性/女性性研究も可能だろう。ただし後述するように、ジェンダー論を取り入れたオタク研究は十分に取り組まれていない。
(5)「DENPA!!!」は渋谷、青山にコスプレイヤーを招き、ニコニコ動で流れている電波ソングやアニメソングを流すクラブイベント。http://www.myspace.com/denpasta
(6)同人音楽の一種で、意図的に下手に歌った声や、一般受けしない意味不明な歌詞が視聴者に中毒性をもたらした。
(7)電子掲示板「2ちゃんねる」への書き込みをもとにした小説で、2005年に映画化・テレビドラマ化された。良くも悪くも、オタクのイメージや「萌え」という語がそれらを通して大きく発信された。
(8)動画投稿サイト「ニコニコ動画」の略称。http://www.nicovideo.jp/
(9)『東方Project』の略称で、同人サークル「上海アリス幻樂団」製作の による弾幕シューティングゲーム作品。ニコニコ動画においてはゲーム本編に使用されている音楽が高く評価され、アレンジ作品や他の版権作品とコラボレーションしたMADが製作されるなど、二次創作において高い人気がある。
(10)谷川流によるライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズのことで、2006年、2007年にテレビアニメ化した。ニコニコ動画においてはアニメ本編のほか、アニメの主題歌「『ハレハレユカイ』を踊ってみた」シリーズの「踊り手」たちが人気を集めていた。
(11)「初音ミク」とは、クリプトン・フューチャー・メディア社が2007年8月にリリースした日本語の音声合成デスクトップミュージック(DTM)ソフトウェアの名称、またそのパッケージに描かれているキャラクター・ボーカロイドの名前である。発売以降、ニコニコ動画やYouTubeのような動画投稿サイトに曲が投稿されている。また、基本設定の少なさから、音楽だけでなく、イラストを通した初音ミク自身の設定の二次創作も多い。
(12)ここに分類できない言説は「e)その他」に分類した。
(13)画像はニコニコ動画に投稿された「【初音ミク】みっくみくにしてあげる♪【してやんよ】」http://www.nicovideo.jp/watch/sm1097445
(14)Taneska(2009)は、スキャンレーション、ファンサブ、AMV(アニメ・ミュージック・ビデオ)などを挙げている。

参考文献
Azuma, H.(2009)Otaku : Japan’s Database Animals, Univ Of Minnesota Press.
Jackson, P.(1989)Maps of Meaning : An Introduction to Cultural Geography, Unwin Hyuman.(徳久球雄・吉富亨訳『文化地理学の再構築—意味の地図を描く』玉川大学出版局,1999年)
Taneska, B.K.(2009)”Otaku : the living force of the social media network” Glocal: Inside Social Media, October 15-17,1-15
相田美穂(2005)「おたくをめぐる言説の構成—1983年〜2005年サブカルチャー史」『広島修大論集(人文)』46(1),17-58頁
東浩紀・伊藤剛・谷口文和・DJテクノウチ・濱野智史(2008)「初音ミクと未来の音—同人音楽・ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」『ユリイカ』2008年10月増刊号,143-161頁
井手口彰典(2009)「概念としての『同人音楽』とその射程」『同人音楽研究』1,4-15頁
井手口彰典(2010)「現代的想像力と「声のキャラ」—初音ミクについて」『福祉社会学部論集』29(2),17-32頁
内田樹(2010)『街場のメディア論』光文社新書
岡本健(2009)「アニメ聖地巡礼の誕生と展開」『CATS 叢書』1,31-62頁
岡本健(2010)「コンテンツ・インデュースト・ツーリズム—コンテンツから考える情報社会の旅行行動」『コンテンツ文化史研究』3,48-68頁
岡本朝也(2008)「文化の変遷への視座—構築主義と言説分析」南田勝也・辻泉編『文化社会学の視座—のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化』ミネルヴァ書房,83-104頁
菊池聡(2008)「『おたく』ステレオタイプの変遷と秋葉原ブランド」『地域ブランド研究』4,47-78頁
佐々木高弘(2009a)『怪異の風景学—妖怪文化の民俗地理』古今書院
佐々木高弘(2009b)「映画のなかで呼吸する風景—映画の文化地理学」『比較日本文化研究』13,65-78頁
佐々木高弘(2010)「記憶・身体・風景—『おくりびと』への文化地理学の視角」『人間文化研究』25,69-85頁
田川隆博(2009)「オタク分析の方向性」『名古屋文理大学紀要』9,73-80頁
山村高淑(2009)「観光革命と21世紀—アニメ聖地巡礼型まちづくりに見るツーリズムの現代的意義と可能性」『CATS叢書』1,3-28頁
和田剛明(2007)「ライト化したオタク市場とその特徴」『2008オタク産業白書』メディアクリエイト,70-79頁
カリメン3号
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