アニメに描かれるジェンダー関係とメディア・リテラシー —『イヴの時間 act1:AKIKO』のシーン分析を中心に—

2017年08月28日 23:04

キーワード:ジェンダー関係,シーン分析,メディア・リテラシー


Ⅰ はじめに

 アニメにおいてロボットのビジュアルはそのほとんどが「人型」をなしている。その背景には、アニメ制作者が、様々な部品で構成される機械に対して不気味な印象を与えないように、人間に近いビジュアルを設定することで、視聴者に受け入れやすくする意図があるのかもしれない。『マジンガーZ』(1972〜1974)や『機動戦士ガンダム』(1979〜1980)など初期の巨大ロボットアニメにおけるデザインは人型でありながらシンプルであったが、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜1996)ではより人間に近い印象を与えるシーン(1)が演出されたり、『ちょびっツ』(2002)では、人間とほとんど変わらない姿形をしたロボット(2)が描かれるようになり、それらがある程度の意志や感情を備えるという面にまで至っている。
 2008年8月よりインターネットで無料配信されたアニメ『イヴの時間』(監督・吉浦康裕)は、全6話の再生回数が300万回を越え、インターネット上での人気を博し、2010年3月には全6回を編集し、新規カットを加えた劇場版が制作された。その人気は、近年の傾向として「オルタナティヴアニメ」(3)としての人気や、3DCGをふんだんに用いたカメラワークの技術、SF作家アイザック・アシモフの「ロボット三原則」を踏襲した設定、人気声優の起用によるところが大きいとされている。この作品の全体を通して描かれる主題は、『鉄腕アトム』以降の——日本の(広義での)ロボットアニメにおける——人間とロボット(あるいはアンドロイド)の共存関係という普遍的なテーマを踏襲しているといえる。
 ところで、主人公(少年)がロボットに乗り込み、操縦して悪と戦うという男性的なイメージの強い巨大ロボットアニメに対して、『イヴの時間』にしろ『ちょびっツ』にしろ、なぜ人間に限りなく近いアンドロイドの多くが女性の姿を模しているのかという疑問が筆者にはある。美少女が登場し、活躍する1980年代以降のロボットアニメに対して、女性が男性視聴者の「性の商品と化している」という言説(4)は過去にもあったが、果たして『イヴの時間』においても、このような言説が言えるのだろうか。
 本稿では、ひとまず男性型ハウスロイドを「男性」、女性型ハウスロイドを「女性」として扱い、『イヴの時間 act1:AKIKO』に描かれるジェンダー関係を、シーン分析からと、設定資料等(奥津ほか,2010)から指摘することで、上のような疑問の解決を図りたい。それは、本編の、ハウスロイドに対して思い入れの強い人間を揶揄し、社会問題となっている「ドリ系」(アンドロイド精神依存症)と呼ばれる人々のコミュニケーションと、メディア・リテラシーの問題を改めて提起することにもなると筆者は考えている。
Ⅱ ジェンダー関係とメディア・リテラシー

 本章では映像作品におけるジェンダー関係を指摘するにあたって、ジェンダー地理学と文化地理学、それらに隣接するカルチュラル・スタディーズ、さらにその潮流を受けて発展したメディア・リテラシーの連関を概観する。

(1)フェミニズム理論とジェンダー論の台頭
 欧米で女性学・女性研究ないしジェンダー論が台頭したのは1970年代から80年代のことだが、特にアメリカでは女性解放運動や公民権運動といった第二派フェミニズムの影響によるところが大きい。第一波フェミニズムが女性の参政権という制度的な権利獲得を中心主題としていたが、第二派フェミニズムは様々な性差別的制度ら女性を解放する運動を主題としていた。
 ところでジェンダーとは、生物学的性差(セックス)に対して、これまでの歴史的、社会的、文化的に構築された性差を意味している。ジェンダーとフェミニズムとは同等の概念ととらわれ気味だが、前者は男女の非対称の階層秩序を指し、中立的な分析因子として見られやすいが、フェミニズムは、しばしばラディカルでポリティカルな文脈で使用される。しかしジェンダーとは決して中立的な概念ではなく、男女の権力関係が組み込まれた政治的な概念をも包含している(吉田,2006:22)。
 そうしたフェミニズム理論やジェンダー論は社会学や歴史学、心理学といった人文・社会科学に広く浸透することとなる。

(2)ジェンダー地理学の諸相
 地理学においても、1970年代後半以降、フェミニズム理論を取り入れたジェンダー地理学が欧米で確立されていく。それは、それまでの男性中心主義的な地理学に女性地理学者が異議申し立てをおこなったことに始まる。従来の地理学には、男性から他者としかみなされない女性がその議論から排除されてきたこととする指摘がある(前掲:22)。
 この時期の研究では、既婚で就業中の男女の通勤距離や公共交通・サービス機関への近接性、居住地選択などが比較され、その結果、女性の行動のほうが、男性のそれよりも空間的な制約が大きいことが明らかになったという。それは、女性が家事や育児といった家庭内の役割分担のため、日常生活の行動が空間的に制約されていることを意味している(Pratt,2000:259-262)。
 1980年代以降のジェンダー地理学は、カルチュラル・スタディーズ(後述)の文脈において、女性のみならず、男性中心主義の言説から排除されてきたマイノリティ—子ども、高齢者、障害者、同性愛者、犯罪者—を対象とする新しい社会文化地理学との接近がみられる(Jackson,1989=1999)。
 日本におけるジェンダー地理学の理論は1990年代に入って紹介された。欧米のそれと同様、終業女性の通勤行動や居住地選択、公共サービスへの近接性を扱う傾向があったが、男女のライフステージ研究や、子どもを持つ女性の保育所の立地問題を検討するものもみられるが、日本の地理学者のなかで女性地理学者あるいはジェンダー地理学を専門とする研究者は欧米に比較して少ないというのが現状である(吉田,2006:23-24)。
 村田(2009)によれば、これらのジェンダー地理学には、「ジェンダー概念の普及に比べて、研究の担い手が女性に偏るという点、ジェンダー研究に不可欠な「ポジショナリティ(立場性)」の視点が失われがちであるという点」(村田,2009:ⅱ)が問題となっているようである。村田の指摘は、一般に、女性学の蓄積は進んでいるが、男性学の蓄積の少なさはジェンダー論者が男性学を消極的にとらえていることを表していることを意味しており、「地理学における男性研究」を提起している。

(3)カルチュラル・スタディーズにおけるジェンダー研究
 戦後のイギリスの労働社会史で発達した初期のカルチュラル・スタディーズにおいて、ジェンダー研究以前では、それとは理論的基礎や政治的目的が一致していなかった。カルチュラル・スタディーズの関心は、階級の歴史やイデオロギー、ヘゲモニーにあって、ジェンダー研究が主題とするアイデンティティやジェンダーの性質をめぐる議論はさほどなされていなかったという(Turner,1996=1999:307)。ジェンダー研究とカルチュラル・スタディーズとの関係は、カルチュラル・スタディーズの内にある、女性を排除し、周縁化する文化的諸形態のアプローチをフェミニストたちが批判することによって理論を発展させてきた。
 1980年代に起こった「文化論的転回(cultural turn)」以降の地理学においても、カルチュラル・スタディーズの成果を積極的に取り入れ、前述したジェンダー地理学の分野で議論が進められているが、政治や経済、社会だけでなく、文化のレベルでもジェンダーを検討されるべき文化地理学においては「学問的な議論や公開の討論にはふさわしくないと見られている」(Jackson,1989=1999:131)とあるように、消極的な一面がみられる。

(4)メディア・リテラシーとジェンダー研究
 水越伸は、メディア・リテラシーを「人間がメディアを介して情報を批判的に受容、解釈すると同時に、メディアを選び、使いこなして自らの考えていることを表現し、コミュニケーションの回路を生みだしていく複合的な活動」(水越,2004:133)としている。
 水越はまた、メディア・リテラシー実践の系譜を、「マスメディア批判」「学校のメディア教育」「情報産業促進」の側面から述べている(前掲:136-143)。
 すなわち、マスメディア批判に端を発するメディア・リテラシーの実践は、第二次戦終戦以前の、映画やラジオが政治宣伝の道具に利用されたことに対する批判の動きや、イギリスにおける教育実践として模索される。第二次大戦後はカルチュラル・スタディーズやマスコミュニケーション研究における、マスメディア情報はさまざまなイデオロギーのもとで生み出されるため、批判的に受け入れ、解釈する必要があるという指摘が定着したが、マスメディア批判のメディア・リテラシー論には「マスメディア対市民」という二項対立が前面に押し出され、固定化しまいがちな点や、日本では、マスメディア批判活動が、教育や学習の場の幅を広く持てずにいる点が課題となっている。
 学校のメディア教育実践は、1960年代のテレビの普及以降、視聴覚教育、教育工学などの教育学、心理学、認知科学の領域で発展した。1990年代以降はコンピュータが学校に姿を見せ、映像視聴能力に加え、メディアを使いこなし、表現するという意味でのメディア・リテラシーが注目される。学校教育におけるメディア・リテラシーの課題は、第一に、学校教育の中でメディア・リテラシーは指導教師の不足によって正規のカリキュラムとなれない点、第二に、日本の教室では、マスメディアや大衆文化を話題にしにくいために、それらを批判的に読み解くなどという作業が十分に実践されていない点、第三に、メディア・リテラシーを学校教育の評価基準にどう当てはめるかという点である。
 最後に、情報産業の生産と消費のメカニズムからのメディア・リテラシーの実践。IT革命を旗印に、デジタル情報技術を用いた構造改革と、雇用や市場の開拓を目指しはじめたが、地方や家庭、高齢者や女性といった消費者の情報格差が顕著で、市場の拡大に限界があるという問題を孕んでいる。また、政府や産業界が要請するメディア・リテラシー教育が、メディア機器を使いこなす技術的能力に圧倒的に偏っている点が課題である。
 メディアに描かれるジェンダー関係については、『マス・コミュニケーション研究』誌において、「女性とメディア」に関する論文が毎年のように掲載されていることなどから、特にマス・コミュニケーション研究の分野で豊富な議論が交わされている。
 テレビや雑誌、児童書などの内容分析からマスメディアとジェンダー関係を詳細に検討した諸橋泰樹は、マスメディアを通じた情報コミュニケーションの機能を四点挙げている。すなわち、①われわれの価値観や行動の様式に影響を与える機能、②物語や音楽、映像など情緒に訴える内容や形式によって娯楽を供給する機能、③正確で公平に情報を伝達したり、公権力を監視するジャーナリスティックな機能、④マスメディアが取り上げた事象に対して権威的・正統的な意味を付与する機能である。特に④については、「メディアの地位付与」と「支配的コードに拘束された社会規範設定」の機能は、諸個人の価値観の決定や世論形成、流行という現象を生む源泉としている(諸橋,2001:20)。
 マスメディアによるジェンダー関係の形成についても、上記に挙げた機能が「女らしさ/男らしさ」という性別役割をパッケージ化し、それを支配的、正統的に再生産しているという点では、メディアを批判的に読み解くメディア・リテラシーの実践とも大きく関連している。諸橋は、ジェンダー、特に女性についてのメディア・リテラシーの理論と実践を、鈴木みどりとFCT市民のメディア・フォーラムによる定義から次のように整理している(諸橋,2009:22)。

 ①メディアにおける「女性」は様ざまなメディアの技法によって構成されたものである。
 ②人びとにとってはメディアで構成された女性が「現実」の女性となる。
 ③視聴者・読者らオーディエンスがメディアで語られた女性の意味を受容的/妥協的/批判的に解釈する。
 ④メディアは女性を描くことで販売収入や広告収入を得て商売を行っている。
 ⑤メディアは女性に関するイデオロギー(母性、性的存在、美しさ、しとやかさ、若さなど)を流布している。
 ⑥メディアの女性像が社会的・政治的な意味をもって文化的土壌をつくり、人間関係をつくり、政策につながってゆく。
 ⑦新聞や雑誌、テレビなどメディアの種類・特性によって女性の描き方には独自性がある。
 ⑧性カテゴリーにとらわれない新しいジェンダー像や多様なジェンダー像を創り出し、抑圧的でない日常のジェンダー関係を創り出すことが求められている。

 以上のように、フェミニズム運動の潮流を受けて提唱されたジェンダー地理学、カルチュラル・スタディーズに代表される文化論的転回以降の文化地理学、ジェンダー研究との接近が図られたカルチュラル・スタディーズ、そしてマス・コミュニケーション研究において検討されてきたジェンダー関係とメディア・リテラシーの連関を簡潔に振り返ってみた。これらの各分野で共有されていると思われる問題提起には、「女らしさ/男らしさ」という従来のジェンダー関係は、社会や文化のなかで構築されたものであり、今日におけるその構築は、とりわけ大衆文化を支えるマスメディアによるところが大きいという点にあるといえるだろう。
 次に、文化地理学とジェンダー研究において議論がなされた映画やアニメなど映像作品のシーン分析の先行研究を概観し、本稿の分析の手順を述べる。


Ⅲ アニメのシーン分析

(1)文化地理学におけるアニメ研究
 地理学全体において映画やアニメなどの映像作品に関心を寄せる地理学者は極めて稀である。これらの研究は、先に述べた、文化論的転回以降の欧米の文化地理学においてようやく取り組まれるようになった。
 文化地理学が景観をテクストとして扱うようになるころ、同様に、映像に描かれる場所や風景を分析する動向がみられるが、それは記号論の影響を多少なりとも受けている(佐々木,2010:65-
67)。特に、映像に描かれた場所のイメージの分析は、受け手側の研究にみられる。映像のなかの場所や風景は、偶然に映し出されたものではなく、記号として意味を生成している側面がある。アニメのなかの場所や風景となると、それらは制作者側の意図のもとに作り出されているものであるため、記号の意味が強調されるという。
 たとえば、『千と千尋の神隠し』(2001)を分析した文化地理学者の佐々木は、冒頭の家族の引っ越しシーンに表れる風景から、伝統的民俗社会のそれと、個性なき近代的建築群という記号の対比を通して、現代社会の諸問題の再考を視聴者に促しているという分析結果を提示している(佐々木,2009:118-123)。
 近年の文化地理学におけるアニメ研究のなかでも新たな動向を見せているのが、日本のアニメ映画『Ghost in the Shell 攻殻機動隊』(1995)とその続編『イノセンス』(2004)を読み解いたCurti(2008)の論考がそれにあたる。Curtiはオランダの哲学者スピノザの一元論を援用しつつ、そこに描かれるシーンや登場人物の言説から、人間の精神(あるいは記憶)は身体との境界を越えて、都市の景観へと拡張する連続体であり、生命体であると指摘し、これまでの過去と未来、都市と地方、自然を含む景観と人間といった二元論的な視点を越えようと試みている。

(2)アニメに描かれるジェンダー関係に関する研究
 メディアのシーン分析を行う際、①メディアの送り手、②メディアの内容、③メディアの受け手という三つの側面が問題となる。アニメに描かれるジェンダー関係を指摘する場合、特に②および③に焦点を当てた研究がみられる。それらが指摘した内容は、②の視点では、女性の登場が少ないこと、性別役割分業や性格描写のステレオタイプがみられること、男性支配的な内容であることである(藤村・伊藤,2004:132)。また、子どものジェンダー意識形成を、子どもやその保護者からのインタビュー調査とテレビアニメの内容分析から検討した藤村久美子・伊藤めぐみが取り上げたテレビアニメ(5)においては、それらが男子向け/女子向けに限定されて制作されているということから、男女の固定的なイメージを提供することによってジェンダーによる男女の二元論を促進していることを指摘しており、固定的なジェンダー観に気づき問題意識を高める教育の必要性を論じている(前掲:145-147)。

(3)アニメのシーン分析
 本稿ではアニメのシーン分析をおこなう手続きを、CM、アニメ、コミックの物語構造分析の理論とその分析事例を多彩に紹介している高田明典に依拠する。ただし注意しなければならないのは、「『よりよい価値』とは何であるかということについて、十分な議論が行われる可能性はそう多くない。分析者として私たちができることは『その物語には、このような価値の枠組みが含まれている』と指摘することしかできない。それを廃棄するのか、それとも採用し続けるのかは、分析者が関与すべき事柄ではく、また実際問題として一研究者がそのような選択に影響できる可能性は著しく小さい。」(高田,2010:10)と、高田が言うように、われわれがある物語の意味や効果や価値をその物語の送り手や、社会・文化の枠組みのなかで無批判のうちに採用してしまう点は、アニメに描かれるジェンダー関係を、その内容の「善し悪し」で捉えるものではない、メディア・リテラシーの連関のなかで指摘する意義があるといえるだろう。
 高田の言うシーン分析の手続きは次の四点である。①シーンの抽出。分析対象となるシーンを1枚の絵として抽出する。②シーンに存在するアイテムなどの抽出。①で抽出したシーンを絵画分析するため、そのシーンに含まれるアイテムを抽出し、リストを作成する。③シーンに存在するアイテム・キャラクターの比喩の特定。②で抽出したアイテムの比喩を特定する。④深層における物語がどのようなものであるかを同定する(前掲:190)。
 以上のような手続きから、ジェンダー関係を描いていると思われる「場所(あるいは空間)」を抽出することで、ジェンダー地理学的な分析・考察を進める。


Ⅳ 全体的考察

(1)『イヴの時間 act1:AKIKO』概要
「未来、たぶん日本。“ロボット”が実用化されて久しく、“人間型ロボット”(アンドロイド)が実用化されて間もない時代。」(6)
 この作品の世界観を伝える一文が、物語の冒頭に挿入されている。アンドロイドはその用途によっていくつか分類がなされているが、そのうち、各家庭が「家電」として所有し、家事などを担当している「ハウスロイド」がある。
 分析対象の『act1:AKIKO』のストーリー概要を以下に示す。なお、“イヴの時間”の表記は、作品名を指す場合は『イヴの時間』、喫茶店名を指す場合は「イヴの時間」とする。
 主人公のリクオは所有するハウスロイド「サミィ」の行動記録のなかに、「**Are you enjoying the time of EVE?**」という文字列を発見する。不審に思ったリクオは友人のマサキを誘って、記録された場所に向かう。2人は路地裏の雑居ビルの地下でひっそりと営業している「イヴの時間」という喫茶店にたどり着いた。
 その店の入り口に立てられている看板(図1)には、「当店内では… 人間とロボットの区別をしません ご来店の皆さまもご協力ください ルールを守って楽しいひと時を…」と記載されている。そのことから、喫茶店内にいる者が人間であるかハウスロイドであるかの区別がまったくつかない。
 この作品世界には「ロボット法」なるものがあり、そのなかで、ハウスロイドは頭上にホログラムのリング(図2)を投影することが義務づけられている。そのような法律に違反する店のルールに対して困惑するリクオとマサキだが、そこへアキコ(図3)と名乗る女性の常連客が、2人にこの店のことを説明する。「アンドロイドの気持ちを理解したい」と語る彼女に、リクオは少しだけ共感する。
 翌日、2人は学校の廊下でアキコに出会う。しかしそのときのアキコの様子は「イヴの時間」とは異なっていた。頭上に人間と区別するリングがあり、顔は無表情である(図4)。アキコの正体はハウスロイドであったことに愕然とするリクオ。さらなる衝撃がリクオに訪れる。帰宅後、サミィの入れたコーヒーの味が、「イヴの時間」で飲んだそれと似ており、理由をサミィにただす。すると「入れ方を変えております」と答えたサミィにリクオは「お前まで人間の真似するのか!」と激高してし、アキコの言葉を思い返して、ハウスロイドが人間を理解しようとしていると感じたところで第1話は終わる。


ピクチャ 3
図1 喫茶店「イヴの時間」の入り口にある看板

ピクチャ 8
図2 リングを投影するハウスロイドたち(右)

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図3 アキコ

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図4 リングを投影するアキコ


(2)シーン分析
 前項で述べた手順に基づいた表を別紙に示す。『イヴの時間 act1:AKIKO』全体において登場したハウスロイドの容姿は、冒頭のサミィをはじめ、リクオとマサキの「イヴの時間」への入店、学校でアキコと再会する前後など、圧倒的に女性型が多いことに気づかされる。そもそも、『イヴの時間』におけるハウスロイドの容姿の大半が女性であるのは、「家事援助や接客等(裏世界では、ほかにもいろいろと……)。つまり、『人とかかわる必要のある職種』」(奥津ほか,2010:3)であるためだとしている設定に、男女の性別役割分業を前提とするバイアスがかかっていることが指摘できる。
 本稿が分析の対象として抽出したシーンは次のとおりである。①物語冒頭のリクオとサミィのやりとり、②学校で会話するリクオとマサキ、
③「イヴの時間」でのリクオ・マサキとナギとのやりとり、④学校で男子生徒がハウスロイドに鞄を投げつけるシーン、⑤ハウスロイドとして登場したアキコと彼女の所有者とのやりとり。
 物語冒頭のリクオに命令されてコーヒーを入れたり(図5)、朝食を作るサミィ(図6)から、ハウスロイドが家事として利用されているシーンについては、女性が家庭という場所で家事を専任して担当するという性別役割分業的なシーンとして描かれている。

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図5 コーヒーを入れるサミィ

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図6 朝食を作るサミィ


 また、図7に見るように、男性型アンドロイド(ここでは、彼は学校で働いているため「ハウスロイド」ではなく「アンドロイド」と表記する)は、人間の男性と同様に、力仕事を任されているところがある。リクオとマサキが会話している背景に、大量の荷物を、表情を一つ変えずに運んでいる姿が描かれている。人型ロボットを製造する技術があるというのに、男性型/女性型に限らず、その労力や能力を同等のものとしておらず、男性的/女性的な分業を、そのスペックにわざわざ反映させているという点でも、性別役割分業のバイアスがかかっているようにうかがえる。それは、学校という空間における男性の労働を比喩している。

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図7 大量の荷物を運ぶ男性型アンドロイド

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図8 「イヴの時間」内部

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図9 給仕するナギ


 次に、「イヴの時間」に入店してからのシーン(図8)に注目する。「イヴの時間」のスタッフは、カウンターの向こう側にいるナギと、注文を聞いて品を用意する人物(誰がしているのかはここでは描かれていない)の二人のようだが、ナギはリクオとマサキに注文を取る。一般に、喫茶店で給仕をする女性を指す言葉に「ウェイトレス」があるが、日本におけるその歴史を見ても、これが極めて女性的な仕事であることがいえる。すなわち、幕末に国内で初めて登場した喫茶店には、大正時代になるとエプロンを胸からかけた若い女性がサービスをする「女給」という、「女性の」新しい職業の成立がみられる(荒木,2009:107)。喫茶店で働く若い女性が、男性客に対してサービスをするというのは、『イヴの時間』でも当然のように描かれている(図9)。そのような文脈で喫茶店「イヴの時間」をとらえるとするならば、そこはジェンダー関係を反映した場所であることが指摘できる。実際に、「イヴの時間」にいる客の性別の人数を見てみると、男性が、リクオ、マサキ、二人の間に割って入店した男性型ハウスロイド、ソファーに腰掛けて読書をしている男性、女性と二人でいる男性、店の2階部分からリクオとマサキを見ている年老いた男性の6人に対して、女性はアキコ、男性に抱きついている女性、2階部分から「ニャー」と声を上げる少女の4人と、男性が主な客層となっているようである。

ピクチャ 9
図10 女性型ハウスロイドへの人間男性の対応

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図11 アキコへの所有者男性の対応


 後日、学校で「イヴの時間」でのできごととアキコの「アンドロイドの気持ちを理解したい」ということを話すリクオとマサキのシーンの後に、図10のように、男子生徒が、彼が所有するハウスロイドに向かって鞄をやや乱暴に投げつけるシーンがある。また、「鞄、防水、お前だけ帰宅」「かしこまりました、マスター」と、ハウスロイドとして登場したアキコと彼女の所有者とのやりとり(図11)から、女性型ハウスロイドが、男性に従属する描かれ方に、男権的なジェンダー関係を読み取ることができる。命令する側とされる側、所有する者と所有される者、人間とハウスロイドの権力関係を強調するように描いている。


Ⅴ おわりに

 以上の抽出したシーンの分析から、本編を通じて登場するハウスロイドの大半が女性であり、その前提としてハウスロイドの用途が、極めて従来のジェンダー関係における性別役割分業であることと、それを比喩する場所・空間が描かれていることがわかった。
 この物語が一貫して描こうとしているのは、人間とその他者としてのハウスロイドであり、人間男性/人間女性からあくまでも下位的、従属的な立場にある男性型ハウスロイド/女性型ハウスロイドの、人間と機械の二元論を越えたところに見えるジェンダー関係的二重構造からみることも可能ではないだろうか。
 本稿で扱ったメディア・リテラシーは、メディアに描かれる男性像/女性像を詳細に検討していくというコンテクストでのアプローチであったが、家電(ツール、あるいはメディア)としてのハウスロイドと人間が本編でどのように付き合っているのかは、「ドリ系」と揶揄される人びとの、ある意味でのメディア・リテラシーの問題を含んでいることから、そのような視点からのアプローチによるシーン分析も有効的ではないだろうか。



(1)『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する「エヴァンゲリオン」は正式には「人造人間」と設定されている。そのため、ボディにダメージを負った際には血が噴き出すようなシーンがいくつか見られる。
(2)『ちょびっツ』に登場する女性型アンドロイドは「パソコン」として設定されている。
(3)「オルタナティヴアニメ」とは、「個人作家による自主制作、もしくはそれに近い形態で制作されるアニメ。(省略)より広い層へ——場合によっては、既存の商業アニメ以上に広い層へ——届きうる、優れたエンタテイメント性を備えたアニメ作品」(アニメージュオリジナル編集部,2010:34)とされている。特に、新海誠の『ほしのこえ』(2002)、『雲のむこう、約束の場所』(2004)以降、自主制作でありながら高度な制作技術を実現しているこれらのアニメの人気は「Youtube」や「ニコニコ動画」といったインターネットの動画投稿サイトで起こっている。吉浦康裕も『水のコトバ』(2002)や『ペイルコクーン』(2006)などを、自主制作あるいは少人数のスタッフによって制作している。
(4)『新世紀エヴァンゲリオン』の監督・庵野秀明の発言(西村,2004:88)による。
(5)藤村・伊藤(2004)が取り上げたテレビアニメは『ポケットモンスター』『おジャ魔女ドレミ♯』『遊戯王デュエルモンスターズ』の3番組。
(6)スタジオ六花,2008,『イヴの時間 act1:AKIKO』(吉浦康裕演出・原作・脚本・監督)より。

引用文献
Curti, G. H. (2008)”The ghost in the city and landscape of life: a reading of difference in Shirow and Oshii’s Ghost in the Shell” Environnent and Planning D: Society and Space, 26, 87-106
Jackson, P.(1989)Maps of Meaning:An Introduction to Cultural Geography, Unwin Hyuman(徳久球雄ほか
訳,1999『文化地理学の再構築—意味の地図を描く』玉川大学出版部)
Pratt, G.(2000)”feminist Geographies” The Dictionary of Human Geography Forth Edition, Blackwell, 259-262
Turner, G.(1996)British Cultural Studies:An Introduction Second Edition, Routledg(溝上由紀ほか訳,1999『カルチュラル・スタディーズ入門—理論と英国での発展』作品社)
アニメージュオリジナル編集部(2010)「イヴの時間とオルタナティヴアニメの新しい波」『アニメージュオリジナル』Vol.8,徳間書店,34-45頁
荒木詳二(2009)「カフェ変容史—文学の中のカフェ」『群馬大学社会情報学部研究論集』Vol.16,105-126

奥津英敏・平井奈津実・山本友美(2010)『イヴの時間 オフィシャルファンブック』コトブキヤ
佐々木高弘(2009)『怪異の風景学—妖怪文化の民俗地理』古今書院
佐々木高弘(2010)「映画のなかで呼吸する風景—映画の文化地理学」『比較日本文化研究』No.13,65-78頁
スタジオ六花(2008)『イヴの時間 act1:AKIKO』(吉浦康裕演出・原作・脚本・監督)
高田明典(2010)『物語構造分析の理論と技法—CM・アニメ・コミック分析を例として』大学教育出版
藤村久美子・伊藤めぐみ,2004,「テレビアニメが子どものジェンダー意識の形成に及ぼす影響—内容分析と
子どもへの聴き取り調査を中心として」『人文・社会科学論集』Vol.21,127-153頁
西村則昭(2004)『アニメと思春期のこころ』創元社
水越伸(2004)「メディア・リテラシーの回復」吉見俊哉・水越伸『メディア論』放送大学教育振興会
村田陽平(2009)『空間の男性学—ジェンダー地理学の再構築』京都大学出版会
諸橋泰樹(2001)「『マス・メディアの女性学』がめざすもの」『フェリス女学院大学文学部紀要』Vol.36,
13-100頁
諸橋泰樹(2009)『メディア・リテラシーとジェンダー—構成された情報とつくられる女性のイメージ—』現代書館
吉田容子(2006)「地理学におけるジェンダー研究—空間に潜むジェンダー関係への注目」『E-journal GEO』
Vol.1,22-29頁

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