連れ連れなるままに・・・

日々の日常の中で、ふと感じたことを気ままに書いています。 最近観た映画や読んだ小説などの感想、趣味の紹介なども書いていこうと思います。

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Posted by カリメン1号・2号・3号 on

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映画評論38

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

8月も終わりに近づき、穏やかな秋が来るのかと思いきや、台風ばかりが日本に来ていますね。
天候の荒れ模様に呼応するように、相も変わらず毎日のように暴風波浪警報が鳴り響いている心理状態のカリメン2号です。
とは言うものの最近になって、少しだけ心理状態も安定して来たようで、幾つかの映画を映画館に観に行くだけの元気は出てきたようで、外出す機会も少しだけ増えて来ました。
それは兎も角として、精神的に安定してない時期が長く続いてしまった事もあり、月に一本は映画評論の記事をアップするという目標は早々に破綻してしまいました。
しかしながら、それでも月に一本の映画評論という目標は変更せずに、頑張っていきたいと思っておりますので、温かく見守っていただけると助かります。
そんな訳で、早速ですが今回のブログ記事は映画評論をアップしたいと思っておりますが、月末の評論アップとは何ともギリギリで間に合わせた感は否めないですね。
まぁ、お盆の時期ということもあり、夏のホラー映画特集ということで映画の評論を書いていたのですが、思いのほか時間が掛かってしまいました。
毎度の事ですが、あまり出来の良い映画評論でないことと、ネタバレの情報を含みますので、嫌な方は見ないでいただけると助かります。
映画評論を書いといて言うことでは無いのですが、特に今回の映画評論で取り上げた『ヴィジット』という作品を、純粋に楽しみたいと思ってる方は、ブログ記事を読まないことをお勧めいたします。

『ヴィジット』
 2015年度の映画作品の多くには、「狂気」というテーマが内在していたように思う。「狂気」と言っても、誰の目から見ても分かるようなものから、静寂の中に潜むような狂気も存在する。そんな「狂気」というテーマを見事に「恐怖」に作り替えた作品が『ヴィジット』であった。監督を務めたのは『シックス・センス』や『サイン』などを手掛けたM・ナイト・シャマラン監督である。監督の作品は近年では、賛否両論を巻き起こすことが多く、ホラー作品としては鳴りを潜めていました。
 ストーリーは、絶縁状態であった祖父母に会いにやって来た姉のベッカと弟のタイラーは、祖父母の暮らす田舎町で1週間を過ごすことになっていた。祖父母と母親との絶縁状態を終わらせるべく、ベッカは祖父母のドキュメンタリー映画を撮ろうとするのだが、時折見せる祖父母の異様な雰囲気に戸惑う姉弟であった。夜になると祖母が家中を徘徊していたり、祖父の様子も決して普通ではないことに気付くのであった。不気味さを感じながらも週末を迎え、ウェブカメラで母に久しぶりの祖父母の姿を見せるのだが、それが別人であることを知ってしまうのであった。滞在日の最後の夜にゲームをしている最中、姉のベッカは隙を見て地下室で本当の祖父母の死体を見つけてしまう。その事に気が付いた祖父に成り代わった老父によって、暗い部屋に祖母に成り代わった老婆と閉じ込められてしまうのであった。そこで襲ってきた老婆を鏡の破片で刺して、タイラーのところに急ぐ姉のベッカ。その一方でタイラーは老父の前で、恐怖に怯えて一歩も動けずに、立ち尽くしていたのだが、姉のベッカが祖父に襲い掛かかり、タイラーを守ろうとしたことをきっかけに、タイラーも老父にタックルを食らわせて、共に逃げ出すことに成功するのであった。
 どの様な映画作品でも重要な要素を含むのがファーストカットであり、それが作品全体のテーマに準ずる場合が多い。『ヴィジット』もホラー作品ではあるが、映画としての重要な要素は、やはりファーストカットにシーンに集約されていたように感じた。ホラー映画にも関わらず、主役が年端もいかない姉弟ということを考えると、映画作品としてのテーマ性も随分と絞られる。特に今回の『ヴィジット』という作品は、随所に「大人になるということ」というテーマ性が隠されていたように思う。映画としてのファーストカットはインタビューシーンで始まり、その事がこれから始まる映画の映像的なスタイルそのものを表すものであった。そして、ベッカのカメラを通した母親の姿は、大人へと変わろうとする自分自身の象徴として捉えることができる。それがハッキリと分かるのがラストカットのインタビューシーンであり、大人へと成長を遂げた母親の姿という演出となっていたのである。映像としては作品の全体を通して、セルフドキュメンタリーのような一人称での視点を中心としたものになっており、これは観客の視覚を狭めると同時に、登場人物であるベッカとタイラーの視点を共有することで、観客の恐怖を倍増させるような演出になっている。この使い古された演出にもかかわらず、観客を飽きさせないようなストーリー構成は、流石は名監督であるM・ナイト・シャマランと言ったところだろう。特に一人称で撮影している様なカメラワークにもかかわらず、決してプロっぽくないような映像は、観客として何の違和感も無く観ることが出来たように思う。そしてまた、恐怖のシーンと穏やかなシーンとの緩急を付けた映像の上手さや、自然の背景に赤い字のテロップを載せるなどの静かな狂気の演出などが、さらに観客の恐怖を煽るようになっていた。
 近年では賛否両論の多かったシャマラン監督の『ヴィジット』という作品は、過去に手掛けた名作のような、確かなメッセージ性が伺い知れたように思う。それは「大人になるということ」ではないだろうか。映画に登場する小物や演出の多くのシーンで、民俗学に見られるような通過儀礼が使われていたように感じる。昔話に登場する魔女を殺すという行為は、一種の通過儀礼の象徴として描かれていることが多い。つまり真実を映し出す鏡という物で、母親の象徴である魔女のような老婆を殺すという行為は、ベッカ自身のアイデンティティに確立に他ならないのである。それは映画のファーストシーンからラストシーンでの母親の変化や祖母の家に在った大きなオーブンの存在、そして老婆と共に閉じ込められた部屋での鏡の演出などからも明らかであるように思う。また、映像としても、カメラを通した祖父母の姿は大人の象徴であり、子供たちからの見た彼らとは、まさに得体の知れない大人の世界そのものであったように感じる。姉弟が経験した一週間という旅行は、姉弟にとっての大人への通過儀礼に他ならず、まさに現代版のおとぎ話であるヘンゼルとグレーテルの様相を呈しているように感じた。

今回の映画評論は、こんな感じです。
久しぶりに書き上げた映画評論ということもあり、あまり出来が良くない…。
映画評論としての演出意図や表現の考察、そして特に古典寓話に対する民俗学的な考察部分が、全くと言って良いほど書きたいことが書けていないように思います。
何とか月に一本は映画評論をアップすることは出来ましたが、急いで書き上げたせいなのか、改めて映画作品を観なおすと、もう一つの隠されているテーマが浮かび上がってくるような気がしました。
それは「高齢化する社会の歪み」みたいなもので、演じていた役柄の老父と老婆から読み取ることが出来るのもでした。
今や核家族が当たり前の時代となり、人間同士の繋がりみたいなものが希薄になってきていますから、彼らの姿は今現代の姥捨て山に近いのではないかと思い、その事に改めて恐怖を感じるカリメン2号でした。
とは言え今月の目標はクリアということで、次回のブログ記事は決まっていませんが、何か紹介記事でも書ければ良いかなと考えています。
また秋という季節も、イベント事が多くなる時期ですので、近いうちに何かのイベントなどに参加する予定を立てています。
なので、その事もブログ記事にしたいと思っていますので、気長に待っていていただけると嬉しいです。

カリメン2号

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Comment

偲 says..."よくよく考えてみれば"
こんにちわ!
「ヴィジット」私も観ました。「シックス・センス」が、私の大好きなタイプの
ホラーだった分、ちょっとがっかりしたというのが正直な感想でした。一番
衝撃だったのはオムツのエピソードで、潔癖症の弟くんが一生消えないトラウマ
になったんじゃなかろうかなどと、馬鹿なことを考えていました。

けれどカメリン2号さんの分析を読んで、あのドキュメンタリー仕立ての意味が
理解できました。そして、よくよく考えてみれば「シックス・センス」も、子供
が恐怖を見る映画でしたし「サイン」も子供たちが登場する映画でしたね。
確かにシャラマン監督にとって、ホラー映画を作る上で「子供」はとても重要な
存在なのかもしれませんね。なんて偉そうに書いてますが本当のところ「サイン」も私にはとても難しい映画でした(笑)
2016.08.31 17:56 | URL | #- [edit]
カリメン2号 says..."偲さんへ"
こんにちは。
カリメン2号です。

コメントを頂きまして、ありがとうございます。
『ヴィジット』は『シックス・センス』のような、幽霊系のホラー映画では無かったですからね。
幽霊系のホラー映画を期待していたファンから言わせると、物足りない部分が多かったように思います。

弟のタイラーに関しては、オムツや糞尿と言った穢れは、無垢の象徴である子供との対比として、映画の中では扱われていたように思います。
まぁ、一度くらいは汚れることによって大人に成っていくのではないでしょうか。
正直に言いますと、映像的にも結構キツイですよね。

自分の分析については、あくまでもカリメン2号の一個人としての感想ですので、恐らく違う人が観たら、違う解釈が出来るのではないかと思います。
それでもコメント頂けたことは嬉しく、自分の評論が誰かの参考になれば良いと思っています。
そいう言っていただけると、今後の映画評論の励みになります。
ありがとうございます。

シャマラン監督の映画は、民俗学や人文学などの学問に出てくる象徴的なものが多いように感じます。
自分なんかは『シックス・センス』では、色(特に赤色)と視覚以外の感覚に注目して観ていましたし、『サイン』なんかでは建物(家という空間)と水に注目していたように思います。
再度、観てみるのも良いかもしれませんね。気が付かなかったことが色々と分かってくるかもしれません。
2016.09.01 02:24 | URL | #- [edit]

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