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アニメ映画に描かれる地理的想像力 —新海誠監督作『ほしのこえ』から『星を追う子ども』まで—

2017年09月07日 18:21

キーワード:地理的想像力,新海誠,風景,子ども,アニメ聖地巡礼


Ⅰ はじめに

 ゼロ年代のオタク文化批評では、宇野常寛による『ゼロ年代の想像力』の刊行以降、「想像力」という語が頻繁に用いられている(東編,2009;限界小説研究会編,2009;前島,2010)。ここでいわれている「想像力」imaginationsとは、いうまでもなく、作品を生み出す創造的想像力creative imaginationsのことである。本稿の目的は、こうした創造的想像力の一部としての地理的想像力geographical imaginationsを、アニメーション映画の中から見出し、これを理解することにある。
 地理的想像力とは「場所や空間の意味、地表面上の生活の営みの性質における風景や自然への感受性」(Gregory,2009:282)と英語圏では解釈されており、人文地理学の用語の一つとして欧米の地理学において50年以上も議論が続けられてきた。そして、2011年の傾向の一つとして、英国で地理的想像力の議論を続けてきたDanielsが、RGS-IBG(王立地理学協会・英国地理学研究所)の講座のテーマとして選び、またこれまでの地理的想像力を回顧するエッセイを Transactions of the Institute of British Geographers 誌に寄せている。その上で、地理的想像力を、これまでの人文地理学の用語の範囲としてだけでなく、隣接分野を横断して一つの学問分野として取り組むことを提案している。このような地理的想像力への関心の背景には、一つは、地理学の課題や方法論が地形や風景の解釈、地図の作成といった想像力に基づくものが多いことである(Daniels,2011:182)。もう一つはその定義があいまいなものとなっているという点である。Giesekingによれば、この定義には、Harvey、Gregory、そして文字通りの意味としての「人びとが場所や空間を想像して描く能力」(Gieseking,2007)の三つの流れがあり、この用語を用いる地理学者たちはこれら三つの定義に依拠している。
 そのような地理的想像力の描写や蓄積は私たちの過去が示している。かつての大航海時代に「まだ見ぬ世界」を求めて旅立った冒険者や探検者が持っていたそのイメージであり、そうした地理的想像力は航海日誌などの文献や、世界地図のような絵画などによって、具現化されてきた。二世紀の地理学者プトレマイオスが描いた世界図(図1)のように、地理学者は地理的想像力の蓄積に関与してきた。時代を遡れば、文献や絵画だけでなく、神話や昔話などの語りからも地理的想像力を見出すことができよう。それはときとして政治性や宗教性を帯びながら、同時代の人びとに共通する世界観—社会—を表象してきた。

putore_08.gif
図1 プトレマイオスの世界図(1)


 本稿が分析の対象とするのは自主制作アニメ『ほしのこえ』(2002)で当時の日本のアニメ界に「オルタナティヴ・アニメ」という新しい風を送り込んだ新海誠監督の作品群、特に、2011年5月に劇場公開された最新作『星を追う子ども』(以下『星追い』)である(2)。彼の代表作である『雲のむこう、約束の場所』(2004)は第59回毎日映画コンクールのアニメーション賞を、『秒速5センチメートル』(2007)はイタリアのフューチャーフィルム映画祭のランチア・プラチナグランプリを受賞しており、国内外で高い評価を得ている。『星追い』もまた、公開前後を中心に、彼の四年ぶりの新作映画ということでインターネット上、とりわけtwitterで話題となった(3)。ジュブナイル・ファンタジーと銘打たれたそれは、主人公アスナが、別世界アガルタからやってきた少年シュンとの出会いを契機に、地下世界を冒険するという物語である。
 本稿ではまず英語圏や日本での地理的想像力への言及を振り返り、併せて文化地理学におけるアニメーション研究についても触れるることで分析の枠組みを組み立てる。その上で、視聴者に地理的想像力を想起させる三つの次元を挙げ、これまでの新海の作品群と、『星追い』のストーリーを追いつつ、そこに描かれる地理的想像力を論じていく。
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