連れ連れなるままに・・・

日々の日常の中で、ふと感じたことを気ままに書いています。 最近観た映画や読んだ小説などの感想、趣味の紹介なども書いていこうと思います。

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Posted by カリメン1号・2号・3号 on

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映画評論37

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

5月も終わりに近づき初夏の香りが漂ってくる毎日ですが、相変わらずテンションは低空飛行のままのカリメン2号です。
やっとの思いで復活したのですが、またしてもブログ更新が遅くなってしまいました。
今月はゴールデンウィークなどもあり、何かと話題には困らないはずなのですが、特に忙しかったという訳でも無いのに、色々としなければならないことが重なり、思いのほか元気は無いですね。
何よりも問題なのが、映画を観る元気が出ないということが、今の自分にとっての課題でしょうか…。
それは兎も角として、何としても月に一つぐらいは映画評論の記事をアップしようと思っていますので、今回も間に合うように何とか頑張りました…。
毎度のことながら評論の出来は良くないですし、ネタバレなのどもありますので、嫌な方は見ないでいただけると助かります。

『キサラギ』
 近年のムーブメントの一つとして、「アイドル」ということが注目を集めている。社会現象にまでなったAKB48のアイドルブームやアニメの『ラブライブ』、NHK朝の連続ドラマでは『あまちゃん』などが有名なところだろうか。今回の映画評論はアイドルが作品の中心的な役割を果たしている作品である。『キサラギ』という映画作品は原案・脚本を担当しているのが『ALWAYS 三丁目の夕日』という作品で、日本アカデミー賞を受賞した古沢良太である。その緻密で巧妙なストーリラインの脚本によって、2007年度の第50回ブルーリボン賞や第31回日本アカデミー賞の優秀作品賞を、この作品によって獲得した。
 ストーリーは、とあるビルの屋上にあるペントハウスで、マイナーなアイドルの如月ミキのファンサイトで知り合った五人のメンバーが集まった。サイト運営者の家元、オダ・ユージ、スネーク、いちご娘、安男という面子のメンバーは一年前に、焼身自殺してしまった如月ミキを悼むために集まったのであった。和やかなムードの追悼会であったのだが、オダ・ユージが言った「彼女は自殺ではなく、誰かに殺されたのだ。」という言葉で、追悼会の状況は一変する。ミキの自殺を不審に感じたオダ・ユージは独自に事件の調査をしており、そこで彼女がストーカー被害にあっていたと主張しだすのであった。だがしかし、家元がその事実を完全否定する。何故なら実は家元は警察関係者であり、彼自身もミキの自殺の件を調べていたのだ。そんな中、急に帰ろうとするいちご娘だったのだが、実は彼がストーカー行為をしていた張本人であり、部屋に侵入していた事が明るみになるのであった。新たな事実が判明するも、いちご娘には確固たるアリバイがあり、殺人を犯した犯人では無かった。いちご娘の新たな証言により、スネークがミキの知り合いで、とても親しい人物であることが明らかになる。そんなスネークからも新たな事実をメンバーは聞かされることになる。それはミキには結婚を約束した幼馴染がいるという事と、その事を知っていたオダ・ユージの正体が、実はミキの元マネージャーであることが判明するのであった。そんな目まぐるしく変化する状況の中、腐ったアップルパイを食べてトイレに行っていた安男が戻ってくる。そこで、またしても衝撃の事実が判明したのだ。それはミキの婚約を誓った幼馴染が安男である事、そしてミキがヘアヌード写真集を出そうとしていた事である。その理由が幼い頃に別れた父親を捜すためだったのだ。その話を聞いていたいちご娘は、自分がミキの父親であることを明らかにする。メンバーたちによって明かされる、事件の真相に繋がる色々な事実が、バラバラだった彼らを繋いでいく。そして、遂には如月ミキの自殺の真実に辿り着くのであった。
 映画において重要なシーンの一つが、導入部分であるファーストカットであることは、再三に亘って書いてきたが、『キサラギ』という映画に置いても、その事は変わらない。特に映画の根幹を成すテーマとして「自分を見つめ直す」であるように感じる。それはアイドルという偶像を通し、自分を見つめ直すための出来事が物語として描かれている。特にファーストカットでのシーンは、それを端的に表していたように思う。真っ暗な暗闇の中から、エレベーターで浮かび上がってくる家元役の小栗旬の姿は、暗闇で周りが見えていない自分自身のキャラクターそのものであり、テラスにある一室は、まさに殻に閉じこもる自分の心そのものを表現していた。それは物語の中心となるメンバーの登場シーンや服装からも明らかで、役柄の振る舞いや言動に至るまで、全員が自分自身に何らかの想いを抱えている人物として表現されている。
 映画作品として目立った部分と言えば、やはり豪華な俳優陣による秀逸な演技と、一室という限られた空間でのカメラワークである。一つの部屋の中で映画作品が進行していくので、激しい動きの演技は少ないためか映像として緩急か付けにくい。しかしながら、それを補うような緊迫した空気の演技と、映像の中に複数の人物を入れることによって、一室という空間の圧迫感を演出していたように思う。またライティングによる光の演出が、登場人物たちの心情を表現しているのが目立っていたようにも感じた。追悼会で集まった部屋の一室が、登場人物たちの心情そのものとして描かれているのは、そのライティングからも読み取ることが出来る。和やかな追悼会を一変させたオダ・ユージの発言と共に、窓から差し込んでいた光は無くなり、外は雨となることで室内は暗い電球のみになる。まさに彼らの心に暗い影を落としこんだような演出であった。
 作品のテーマとして自分を見つめ直すということが、ストーリー構成においても表現されていたように思う。アイドルの如月ミキがラストシーンまで、彼女の顔を映し出されないことは、アイドルとしての偶像そのものを表している。その偶像は、登場人物たちを映し出す鏡のような役目を果たしていたのだ。作品を通して顔を見せないアイドルという存在が、ラストシーンでその素顔を見せる演出は、まさに彼ら自身が自分を見つめ直すことに成功した証なのだろう。ただ作品テーマとしては仕方ないのだと思うのだが、最後まで如月ミキというアイドルの素顔を映し出さない方が、作品全体としては良かったのではないかと思う。素顔をさらけ出すことによって、ラストシーンがコメディタッチになってしまった事が、シリアスで緻密な構成の映画作品の良い印象を、軽くしてしまっていたように感じられてしまった。如月ミキの素顔を映像として映し出さなくても、暗い部屋の中でプラネタリウムを観るシーンよって、暗闇の中でなら光り輝く星を見つけることが出来るのだということは、観客に伝わっていたように思う。

今回の評論記事は、こんな感じです。
本当に出来が悪い映画評論ですね…。
書きたいと思っていたことの半分も書ききれていないのが現状です。
とは言うものの、映画作品としては面白く、何よりも脚本ストーリー構成が秀逸な作品だったと思います。
次回のブログ記事は決まっていませんが、早めに2015年度の映画ベスト3を発表したいと思っています。
ただ、今年は本当に映画が見れていないので、総評を書けるまでは記事としてアップしないつもりです。
楽しみに待っていただけている方がいるのであれば、本当に申し訳ないです。

カリメン2号

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