年末前の一仕事

2015年12月31日 16:32

暖冬ではあるものの冬であることには変わりなく、家の中で冬眠の準備をしているカリメン2号です。
冬はイベントが多いので、外に出る機会も増えるはずなのですが、ついつい暖房の前で丸くなってしまいますね。
つい先日まで「秋は食べ物が美味しいなぁ」と言っていたばかりなのに、もう年末になってしまいました。
一年って、本当に早い…。
無駄に歳だけを重ねて行っているように感じてしまいます。
とは言うものの年末の忙しさは変わりなく、この時期になると正月の準備や年賀状などに、追われる日々を過ごしていました。(まぁ、他にも色々とあったのですが…。)
つまり、今月も映画評論は書けなかったということです!!
すいませんでした…。

それはそうと、ブログを見に来ていただいている皆さんは知っていると思いますが、重大なご報告があります。
今までカリメン1号と二人で共同運営してきましたブログに、なんと新たな仲間が加わりました!!
カリメン2号にとっては、カリメン1号と同様に大学時代の友人であり、大学では色々と共に活動していた同士のような人です。
自己紹介の記事にて詳細は書かれていると思いますが、兎にも角にも一年の締めくくりである12月に、この様な新しい仲間を迎えることが出来たのは、カリメン2号にとって本当に嬉しい出来事です。
また、ブログという顔の見えないメディアを使ってますので、ブログを見に来ている方の中には「本当は1人の人間が、ブログを書いているのでないのか」と思っている人もいると思います。
安心して下さい。
(3人とも)存在してますよ。


てな訳で新メンバーも加わったことですし、ブログ記事の投稿もスピードアップしていきたいと思っています。
今回のブログ記事は、またまた独り言です。(ただ単に、今年最後の投稿は譲れない!!
毎年のことではありますが、今年も頑張って年賀状を出してみようと思い、年賀状を買いに行きました。
流石に、今年のクリスマスも終わってしまい、文具コーナーは正月仕様に変わっていましたが、年賀状の種類が思いのほか多い!!
最近の年賀状は、こんなにも種類や凝ったデザインがあるのかと驚かされるばかりでした。
しかし、正月になると何時も疑問に思うことがあります。
新年のご挨拶としての年賀状ではあるのですが、年賀状の止め時の判断が付かないのです。
あまりに唐突に、出すを止めてしまうのも失礼に当たりますし、自然な流れでブラックアウトみたいな形が理想的なのですが…。
特に仕事関係の相手が年賀状を送ってくる以上は、やはり返事を書かなければならないですし、元旦に届くことが良いとされています。
しかし、これだと年賀状を強要しているように感じてしまい、それが嫌なのでカリメン2号は、親しい友人にしか年賀状を出さないようにしています。
しかも、特に返事が来なくても構わないと思っています。
今ではメールという文明の利器があるのですが、全てにおいてメールというのも、何だか味気なく感じてしまいますから。
年賀状のコーナーを見て回っていた時に、近くに便箋や手紙のセットなども売っていましたが、それを眺めながら購入した人は、どの様な想いを綴るのだろうとワクワクしながら見ていました。
どんなに便利になっても、それでもレトロなメディア哀愁を感じてしまうカリメン2号でした。

今回のブログ記事はこんな感じです。
いやはや、一年というものは早いもので、このブログを開設してから7年もの月日が流れました。
色々の方が訪れていただけるよう、これからも頑張っていきます。(それなりにですけどね。)
また、ブログを見に来ていただいている方々には、本当に感謝の気持ちで一杯です。
新メンバーのカリメン3号を含め、来年も宜しくお願いいたします。
来年には、もっと多くの映画評論を書けるようにしたいと思っています。(出来るかなぁ…。)
来年も皆さんにとって、良い年でありますよう。

カリメン2号
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初めまして!

2015年12月23日 20:26

「静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!」
(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ『この人を見よ』1908年より)


ドーモ、ドクシャ=サン、カリメン3号デス。

この度、カリメン1号氏、2号氏と共同でブログを運営することになりました。よろしくお願いします。

今回はこのカリメン3号がどのような生態かをダラダラと書き連ねてみようと思います。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。

冒頭ではドイツの哲学者ニーチェの著作から、私カリメン3号が好きな箇所を引用させていただきました。

私はニーチェが好きです。

一時期、日本ではニーチェブームが訪れました(今も続いているのか?)。
私はそんなミーハーな連中とは違って学生時代からニーチェの著作(英訳版)と、今日のニーチェ哲学の代弁者でもある(?)中島義道先生の著作を読んでいました。
彼らから人生哲学を学び、今に至ります。

私、アラサー街道まっしぐらです。

現在の職業はナイショ❤️ですが、巷で話題の高学歴ワーキングプアというカテゴリーに分類されるかと思います。

私の趣味を羅列的に述べると、読書(ラノベ・マンガ含む)・ネトサー(主にニコニコ動画)・ゲーム(東方Project、艦これ、スパロボ、テイルズ)・ネトゲ(ファンタシースターオンライン2;PSO2)・動画制作・アニメ鑑賞です。

いわゆるオタクというヤツです。

特にネトサーと動画制作は楽しくやっています。

将来の夢は、ニーチェの言うところの「超人」になることです。
これは真面目な話なんです。

私の思うニーチェについては、書評あるいは読書紹介の形で、別の機会に投稿させていただきたいと思います。

カリメン3号は静かに暮らしたい。

『ジョジョの奇妙な冒険』の作者でおなじみの荒木比呂彦先生からも、何となくですが、ニーチェ哲学を感じます。

さてニーチェについてはこれぐらいにしておいて、カリメン1号氏、2号氏と共同でブログを運営するにあたり、私が投稿しようと思っている記事は至ってシンプルで、以下の3点です。

・文化批評(の真似事)
・書評(の真似事)
・動画の紹介

私はカリメン1号氏、2号氏と違って邦画(アニメを除く)・洋画は滅多に見ないです。

というか二次元こそ私の目の、心の保養なんです!!

アニメはもちろんのこと、今やニュースでも取り上げられるようになった東方Project、艦隊これくしょん-艦これ-は、私にとってかけがえのないものになりました。

こいしちゃんと小傘ちゃんは私の嫁。

とはいえ、住んでいる場所のこともあり、コミケには一度も行ったことのないヤツです。
年に1・2回、大阪に出かけることがあります。目的地は難波・日本橋です。
とらのあな、メロンブックス、アニメイト、ドスパラに出没しております。

機会と金があれば東京にも行こうかなと考えております。

しかし私には自由な時間も金もない、貧乏人です。果たしていつ実現するのやら。

趣味の1つ、動画制作ですが、ニコニコ動画、Youtubeに「ゆっくり怪談」を投稿しています。
「ゆっくり怪談」とは、その名の通り、「ゆっくり」(合成音声ソフト「Softalk」や「棒読みちゃん」など)を用いて、怖い話を朗読してもらうという怪談のジャンルです。

私自身、怪談が好きです。毎日、睡眠用に聴かせてもらっています。

2014年よりニコニコ動画で「ゆっくり小傘が怖い話を朗読するだけの動画」と題して、ゆっくり怪談を制作、投稿しています。

小傘ちゃんマジわちき。

ニコニコのマイリストはこちらです。よろしければご視聴いただけたらと思います。ブログにもリンクを貼っておきます。
Youtubeの方は再エンコードが面倒くさい時間がないので連載が遅れています。ですので、ニコニコのアカウントをお持ちの読者様はニコニコでのご視聴を推奨します。

さて、長くなりましたが、今回はこの辺で。
次回は、文化批評ごっこ「『我が家のお稲荷さま。』に見る「妖怪」としての狐−狐女房型との構造分析の試み」を投稿する予定です。

私カリメン3号への個人的なご質問・ご意見についてはコメントか、Twitter(@atooi232)まで、お願いします。可能な限りお答えします。

念のため申し上げておきますが、私の記事に対するカリメン1号氏、2号氏への誹謗中傷等はお止めください。
私の投稿した記事に関しては、私カリメン3号が責任を持って管理する所存でございます。
ご理解、ご協力お願いいたします。

では、またお会いしましょう。

カリメン3号

まさに優しさという凶器

2015年12月14日 17:36

暖冬とは言いうものの気温はドンドンと下がり、冬の到来を告げている今日この頃ですが、気温と一緒にドンドンとテンションが下がっているカリメン2号です。
元気は無いですが、それなりに頑張っていきたいと思います。
最近になって身近な人が病気となり、医療について考える機会が増えて来ました。
カリメン2号自身もケガが多い方だったので、ある程度は考えていたのですが、思いのほか自分以外の人が病院の世話になると思うと、なかなか落ち着かないものですね。
そんな最中でも、自分の生活スタイルは変わることは無く、定期的に劇場へと足を運んでいます。(本当にダメ人間ですよね…。)
そして先日のことですが、伊藤計劃のSFアニメーション映画である『‹harmony/›』(ハーモニー)を観て来ました。
作品内容のベースに医療を取り上げてることもあり、何だか他人ごとではないような感じを受けてしまいました。

しつこいようですが、このブログで言っている通り、今年はSF作品の当たり年という事で、非常に注目していた作品の一つです。
しかし、しかしながら…。
映画作品としては、それほど良い作品では無かったように感じます。
カリメン2号が、気になった点がいくつか在ったので、それについて少しだけ評論をしたいと思います。
これは予告編でも感じていたのですが、重要人物である御水ミァハ(ミヒエ ミァハ)というキャラクターの役柄が、自分の中のイメージとズレを感じる声質だったように思います。
映画製作サイドは、少女特有の透明感のある高音域をイメージして作ったのだと思いますが、その結果として、知的で不思議な印象のミァハが、あまりにも軽いキャラクターの印象になってしまっていたように感じました。
特にカリメン2号の中では、彼女のイメージはアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』で登場した填島聖護(まきしま しょうご)のイメージに近かったこともあり、この軽い印象には強い違和感を感じました。
また、近未来という設定もあり、CGアニメーションの演出が目立っていたように思います。
しかしながら、残念なことに必要以上にCGを駆使していた印象が強く、人物たちの生々しさの無さは、無機質な作品のイメージの中で、逆に不自然さを感じさせるようになってしまっていたように感じました。
そして何よりも、この事はどの様な作品にも言える事なのですが、上映や制作といった「時間」の制限がある中で、仕方が無い部分は存在すると思います。
特に今回の『‹harmony/›』に関しては、『虐殺器官』の公開延期に伴い、公開日程が繰り上がったことも要因の一つなのでしょう。
それでも、あまりにもキャラクターの背景や舞台設定の説明が不十分過ぎるという点は大きな問題だと思いました。
これは『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』の時にも感じたことなのですが、作品の本質というよりは物語のストーリーを追うことに、精一杯になってしまっていました。
映画版の『‹harmony/›』という作品の評価としては、正直に言って原作内容の消化不足が目立ってしまったように感じます。
まぁ、これだけの辛口な批評なのは、恐らくですが原作小説の『ハーモニー』を、映画を観る前に読んでしまっていたっからだと思いますが…。
ただ、原作を読んでいたので映画として良かった点も見つけることが出来ました。
物語としてのラストシーンは原作に忠実であり、ミァハとトァンの対峙するシーンは良かったように思います。
正直に言いますと、あれ以外のラストシーンは考えられないでしょう。
また、主人公であるトァンのキャラクターに、ブレが少なかったことが高評価ですが、学生時代のエピソードが大幅にカットされていたので、小説を読んでいない観客にとっては、感情移入しにくかったのではないかと思います。

それは兎も角として、また前振りが長くなってしまいましたが、今回は紹介記事ということで、伊藤計劃の遺作となった小説である『ハーモニー』を紹介したいと思います。
今回もネタバレなどの情報も含みますので、嫌な方は見ないでいただけると助かります。
過去のブログ記事でも紹介しました伊藤計劃という人物の作品は、今現在も多くのクリエイターに影響を与えています。
それ自体が、まさに彼自身の計画であったかのように…。
『ハーモニー』という小説もSFの長編作品として、第30回日本SF大賞を受賞し、映画化されることによって、多くの人が伊藤計劃という人物の作品に触れることになりました。

ストーリーは、独白で始まる「わたし」の物語。アメリカ合衆国で発生した戦争と、未知のウイルスの蔓延という惨事を「大災禍」(ザ・メイルストロム)と名付けた近未来の世界で、既存の政府という機構は崩壊し、代わりに高度な医療主義の社会が成り立っていた。そこでは、WatchMeという機器を体に付けられ、誰の体も公共のリソースとみなされる社会なり、その社会のためには健康で幸福的な生活を強要されるのであった。そんな世界の一端を担った研究者の霧慧ヌァザ(キリエ ヌァザ)を父に持つ霧慧トァンは、自由・博愛・平等を押し付けてくる社会を憎悪する御冷ミァハに出会う。「誰にでも優しい社会」に息苦しさを感じていたトァンは、ミァハの誘いで友人である零下堂キアン(レイカドウ キアン)と共に、公共のリソースである自分自身を殺すことを試みるのだった。だがしかし、死ぬことが出来たのはミァハだけで、トァンとキアンは生き残ってしまう。ミァハだけを先に逝かせてしまい、自分たちだけが大人になってしまったトァンは、息苦しい世界から逃げるようにWHO螺旋監察の上級監察官として、世界中の戦地を渡り歩いていた。その戦地では「生府」が禁止している飲酒・喫煙を、息抜きとして嗜んでいたトァンだったのだが、その事実が露見すると日本へと強制的に送還されてしまうのであった。あの息の詰まるような優しい世界に久々に戻ってきたトァンは、友人のキアンと一緒に昼食を取っていたのだが、その目の前でキアンが自殺してしまう事件に遭遇する。トァンは同時刻に6582人の人々が自殺を図るという事件を追う中で、キアンの遺言である「うん、ごめんね、ミァハ」という言葉から、ミァハの存在を感じるのであった。ミァハの遺体を引き取ったとされる父の研究仲間である冴紀ケイタ(サエキ エイタ)博士の所で、トァンは父である霧慧ヌァザが、人間の意志を操作する研究を行っていたことを聞かされるのであった。そして、自殺直前のキアンの通話記録からミァハが生きていたという事実を突き止める。ミァハの影を追っている最中、同時多発自殺事件を実行した犯人の犯行声明がテレビ放送され、「これから一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください。それができない人には、死んでもらいます。」という驚くべき内容であった。ミァハの存在を確信したトァンは、真相を確かめるため母と自分を捨てた父のヌァザと再開する。そして父が「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」という組織の中心人物であり、人間の意志を操作する研究によって、人間の意志を制御すること。それが「大災禍」(ザ・メイルストロム)の再来を防ぐための「ハーモニー・プログラム」という研究をしていたことを知るのであった。その実験体として、特殊な民族の出身であるミァハを使ったのだと聞かされる。しかしながら「ハーモニー・プログラム」には副作用としてプログラムを実施することによって、人間の意識が消滅してしまうという結果に行き着いたのであった。そして、この同時多発自殺事件の真の目的は、その「ハーモニー・プログラム」を実行するために、ワーキンググループの急進派であるミァハが、仕組んでいたという事実を聞かされる。トァンは急進派から「ミァハはチェチェンで待っている」と聞かされと、ミァハとの決着をつけるためにチェチェンの山岳地帯に向かうのであった。

<優しさは、対価として優しさを要求する>

伊藤計劃という作家の作品を読むと、『虐殺器官』が好きな人と、この『ハーモニー』が好きな人は分かれると聞きます。
確かに文章の構成や文体の違い、作品によっての好みが分かれるのは納得できるでしょう。
しかしながら、小説で描きだそうとしている本質的な部分には、やはりブレが無いように感じます。
文章自体に不思議ながあるのは変わりなく、人間の根幹である「魂とは」というテーマ性が見て取れるように思います。
人間が魂のある動物であるのなら、社会という規範の中で人間とは、どう在るべきなのかということを、読者に問うてくるあたりは、前作の『虐殺器官』と通ずるものがあるように感じました。
特に今回の作品では社会というコミュニティの、牽いてはミァハとトァンとの調和(ハーモニー)とは何なのか、の一言に尽きるのではないでしょうか。
近未来を舞台にしたSF作品である以上、現代社会の問題とは切っても切れない部分が存在しており、それを盛り込んだ作品であるのは間違いないでしょう。
病の床に伏しながらも『ハーモニー』を執筆することによって、医療の在り方や命に在り方について、考える機会が増えたのだと思います。
自らの命を絶つ自殺が大きな社会問題となっている昨今ですが、共同体としての社会の在り方について、ある意味での回答(正しいとは限りませんが…。)を伊藤計劃は物語の中で示されているように思うのです。
それは小説の文章からも明らかで「わたしは、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」や「この社会にとって完璧な人類を求めたら、魂は最も不要な要素だった。」というセリフが存在するのが、その証拠なのではないでしょうか。
日本社会では場の雰囲気を配慮する傾向が強く、「空気を読む」という言葉が一般的なことになりつつあります。
しかしながら、それが極端な形で形成されると、この『ハーモニー』のような世界になってしまうのでは、という警鐘のように感じました。
小説の冒頭に出てきた、タマシェクの民(トゥアレグの民)の「我々は程々に嗜むことを知っている。」というセリフが、痛烈な皮肉になっており、そして妙に現実味のある言葉だったように思います。
そう、何事も程々が良いのではないでしょうか。

今回の紹介記事は、こんな感じです。
うぅ…。
またブログ記事が長くなってしまった…。
しかも、内容がまとまってない点も気になりますね。
記事の内容の大部分がストーリーに割かれているのは、紹介記事としてはどうなのでしょう。
因みに明記されていないですが、この『ハーモニー』という作品は、時間系列でいうと『虐殺器官』の後世の話だと思われます。
『虐殺器官』で使用されていた虐殺というプログラムが、本作で登場していた「大災禍」(ザ・メイルストロム)引き金になったと思われます。
どちらの作品も、SF作品としては読みやすい分類になっていると思いますので、興味のある方は是非とも手に取ってみてはいかがでしょうか。
次回のブログ記事は決まっていませんが、早めに映画評論をアップできればと思っています。

カリメン2号

魑魅魍魎の世界へ

2015年12月04日 01:55

寒い日々が続いており、家からますます出なくなりつつあるカリメン2号です。
寒くなるにつれて、体調管理の難しい時期になりつつあるのか、最近は有名人の訃報が多いように感じますね。
つい先日のニュースで、昭和の大女優である原節子さんの訃報を聞いたばかりなのに、またしても有名なマンガ家である水木しげるさんが、亡くなってしまったというニュースを耳にしました。
日本独自のマンガ妖怪という特殊な文化を、支えてきた中心人物が亡くなってしまった事は、本当に残念でならないです。
自分の思い出としては、大学時代の勉強でカリメン2号は、マスコミや情報伝達の「メディア」と歴史や民俗学などの「人文学」という、相反する様な学問を大学で学んでしました。
人文学については過去のブログ記事でも紹介しましたが、この学問にも多くの分野が存在しており、その中でも特に民俗学という分野において妖怪という独特な文化が存在しているのです。
ここで言うところの「妖怪」とは、ビデオカメラに映ってしまった幽霊や心霊写真の研究というものではなく、日本の文化を通してみた妖怪という存在についての学術研究でした。
流石に大学という研究機関で学んでいましたので、ツチノコを捕まえるための研究したり、ビックフットの生態を学んだりなどという、ミステリーハンター紛いのようなことをしていた訳ではないです。
まぁ、それは兎も角として学問としての「妖怪」という存在においては、水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』(若しくは『墓場鬼太郎』)というマンガ作品は、とても重要な意味を持っていたように感じます。
カリメン2号が思うに、日本文化の中の「妖怪」とは、江戸の浮世絵師である鳥山石燕により画像化され、柳田國男という民俗学者によって定義付けがなされ、マンガ界の巨匠である水木しげるによって多くの人々に認知されて行ったのです。
特に『ゲゲゲの鬼太郎』という作品に関しては、日本で知らない人は居ないのでは無いだろうかと思えるほど有名な作品ですよね。
ひと昔前まではテレビ放送もされており、夏休みの子供向けアニメーション映画として、多くの映画館で上映されていました。
ここ最近では、大人向けアニメとして復活を果たした『墓場鬼太郎』や、水木しげるの奥さんである武良布枝さんの『ゲゲゲの女房』が注目を集めていました。
カリメン2号も大学でのレポートでは、題材として取り上げさせて頂いたことの多い作品だったと記憶しています。
そんな日本文化の偉大な先人が亡くなってしまったことは、妖怪の文化研究という分野において、大きな痛手になるように感じます。
しかも、あのようなおどろおどろしいマンガ作品を描ける才能を持った作家さんが、今後も世の中に出てくるかは微妙なところでしょう。

今回はブログ記事は、こんな感じです。
まだまだ、ブログ記事に書き足りない部分もあるのですが…。
あまり長々と記事を書くと、また長い長い休憩を取らねばならなくなりますので、今回はこの辺にしておきます。
次回の内容は決まっていませんが、伊藤計劃の原作映画である『‹harmony/›』(ハーモニー)を劇場で観たこともあり、出来れば原作小説の方を紹介できたら良いなと思っています。

カリメン2号