ミュージックビデオはアートと成りえるのか

2015年10月17日 22:27

食べ物の美味しい季節となり、食欲の秋全開のカリメン2号です。
しかしながら今回は食欲の秋ではなく、芸術の秋ということで映像関連の記事を書きたいと思います。
最近は、映画評論や紹介記事ばかり書いていますが、元々は大学生の時に、メディア全般について勉強していましたので、割と媒体としてのメディアもカリメン2号は好きなのです。
なので今回は映画から少し離れて、ミュージックビデオの事について書きたいと思っています。
ブログの記事が、かなり長くなってしまいますが、読んでいただけると嬉しいです。

一般的にミュージックビデオ(もしくはプロモーションビデオ等)と言われるものは、音楽と映像を組み合わせたものであり、その楽曲の雰囲気に合わせて制作された映像作品の事です。
楽曲を収録したCDやDVDの販売促進、バンドや楽曲自体の宣伝を目的として作られています。
ミュージックビデオの歴史としては、それほど古いものではなく、誰もが知っているイギリスの伝説的バンドである「The Beatles」(ザ・ビートルズ)が発祥と言われています。
彼らは新曲をリリースする度に、色々なテレビ番組に出演しなければならず、その事を疎ましく思っていました。
まぁ、人気絶頂のバンドなので、その忙しさは殺人的だとは思いますが…。
そんな訳で自分たちの演奏シーンとイメージ映像を合わせたものを、テレビ局に提供したのがミュージックビデオの始まりだそうです。
映像メディアという媒体である以上、技術の向上によって様々なミュージックビデオが試行錯誤されていき、個性的で芸術性の高いミュージックビデオが作られるようになったのは1980年代になってからでした。
それまでのミュージックビデオでは、考えられないような革命を起こしたのが、1983年にマイケル・ジャクソンが発表した『Thrller』(スリラー)という作品です。
今までのミュージックビデオは、撮影スタジオの中で歌手が、ただ単に歌って踊る様子を淡々と撮影したものを、映像にしているだけのものや、ライブ時の映像をミュージックビデオに入れるなどの、イメージ映像的な要素が強く、まさに楽曲の背景動画程度のものだったからです。
しかしそれに革新を与えたのが『Thrller』で、軽快な楽曲キレのあるダンス、そしてホラー映画のような濃厚なストーリーを融合させたような映像作品に仕上がっていました。
楽曲自体の長さは5分程度に対して、それ以外の劇中のストーリーやダンス、そしてエンドロールまで入ると、作品全体では約14分になっています。
また、このミュージックビデオの製作費は異常なほどで、当時のミュージックビデオで使われる製作費の予算は5万ドル程度に対して、『Thrller』では50万ドルをもの巨額の製作資金が使われたそうです。
これはもう、本来の販売促進だけを目的としたミュージックビデオの領域を、完全に逸脱していた作品と言っても過言ではないでしょう。
映像の演出に関しても、ホラー映画で知られるジョン・デヴィッド・ランディス監督を起用し、さらに特殊メイクにはリック・ベイカーを起用することによって、芸術性の高い映像作品に仕上がった要因の一つではないかと思います。
この『Thrller』によってマイケル・ジャクソンは、1984年の第26回グラミー賞において史上最多の8部門を受賞し、20世紀で最も成功したミュージシャンの一人となったのです。
このミュージックビデオの劇的な革新は、ミュージックビデオ自体が、ただ単に販売促進を目的としたメディア無いことを、世界中に広めることになりました。

近年になってから、更なる映像技術が向上したことにより、ミュージックビデオも個性的で、面白いモノが増えてきたように感じます。
多くの映画監督やミュージックビデオのディレクターが、新しい映像技術を駆使して、音楽だけではなく様々な映像作品に挑戦しています。
1980年代の当時では、目を見張るほどのアニメーション技術を駆使したミュージックビデオとして、a-ha(アーハ)の『Take On Me』や、日本のロックシーンに多大な影響を与えたBOOWY(ボウイ)というバンドが、代表曲と言っても良い『Marionette』のミュージックビデオにアニメーションを使っていました。
また、映像技術に関りが深くない作品でも、良いミュージックビデを創ろうとした試行錯誤が伺えるモノも多く存在します。
Run-D.M.C(ラン・ディーエムシー)の『Walk This Way』は、ジャンルの違うロックバンドであるエアロスミスの楽曲を、パロディのようなモチーフとして同じ楽曲を使用しています。
このミュージックビデオには、エアロスミス自身もゲスト出演しており、音楽には垣根が無いだと強く印象付けていました。
ミュージックビデオの作品としても高い評価を受けているのが、スキャットマン・ジョンの『Scatman』です。
映像の画面を分割することによって、スキャットマン自身の吃音をカッコ良く見せようとしていることに成功していたと思うのです。
何故なら、この『Scatman』という楽曲はスキャットマン・ジョンのような、吃音に悩む多くの子供達に、勇気を与えようということで作られた曲だからなのです。
そして、ダンスと音楽の融合という意味においては、ジャミロクワイの 『Virtual Insanity』というミュージックビデオが、多くの人に知れているでしょう。
誰もが一度は観たことあるような映像作品で、動く床の上でダンスをすることによって、不思議な空間を映像の中で表現していました。

1990年代の後半ともなると、映像のビジュアル・エフェクト(VFX)が映像技術として台頭し、それによってミュージックビデオは、更なる表現の進化をして行きます。
有名なミュージックビデオですと、ビョークの『All is Full of Love』という作品は、近未来のSFそのもの様な世界観を映し出し、その世界観が彼女の声と合っており、映像としても美しいものになっていました。
また、映画監督であるミッシェル・ゴンドリーが手掛けた作品も面白く、カイリー・ミノーグの『Come Into World』やケミカル・ブラザーズの『Star Guitar』などは、映像的にも不思議な世界観でありながら、何処か遊び心を持った心地良い作品になっているように感じました。
VFX技術によるミュージックビデオということでは、フランツ・フェルディナンドの『Take Me Out』やフィーダーの『Feeling the Moment』が挙げられますかね。
まさにVFXにか表現できないような映像美が、彼らの奏でる音楽との融合を果たしていた作品のように思います。
日本でも話題になったことで、記憶に新しいミュージックビデオですと、大韓民国の歌手であるPSY(サイ)の『江南スタイル』や、日本の元・格闘家で須藤元気が率いる「WORLD ORDER」(ワールド オーダー)の『MIND SHIFT』が、ダンスのミュージックビデオとして世界的に注目されました。
また、最近のバンドではサカナクションやカリメン2号が好きなamazarashiが、毎回のように挑戦的なミュージックビデオを作っているように思います。
特にサカナクションの名を一躍有名にした『アルクアラウンド』という作品は、歌詞を遠近法によって見せる手法を使い、第14回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門にて優秀賞を受賞しましたね。

今回のブログ記事は、こんな感じです。
いや~、本当に記事自体が、かなり長くなってしまいました…。
本当に申し訳ないです。
ブログ記事自体を、前半と後半の2つに分けてアップしようかとも思ったのですが、その場合は後半の記事が手抜きになると思いまして。
大学時代に、それなりに勉強していた事なので、書きたいことが多くなってしまいましたね。
一応ですが間違いが無いように書いていますが、何かしらの間違いがありましたらコメントを頂けると助かります。
まだまだ紹介しきれていないミュージックビデオがあるのですが、有名な作品だけをカリメン2号の独断偏見で選ばせていただきました。
ミュージックビデオに興味にのある方は、是非とも調べてみてはいかがでしょうか。
次回のブログアップは決まってませんが、短い記事をアップしたいと思っています。
本当に今回は、頑張りすぎた…。

カリメン2号
スポンサーサイト

映画評論35

2015年10月11日 23:22

今回は早かったー!!
と会心の叫び声を上げながら、ブログ記事をアップしてるカリメン2号です。
部屋の中で叫ぶって、どんな奇人だよというツッコミは置いといて、これで今月はのんびりと出来ますね。
とは言うものの、秋になってからはイベント(個人的な用事)が多く、それなりに充実した生活を送ってますね。
まぁ、何時までこの元気な気力が続くかは、分かりませんが…。
そんな訳で、今回のブログ記事は映画評論ですが、残念ながら新作映画の評論ではありません。
その辺はご容赦ください。
一応ですが、ネタバレ情報も含みますので、嫌な方は見ないで頂けると助かります。

『レイダース 失われた《聖櫃》』
 冒険映画の代名詞として、世界中で人気のスティーブン・スピルバーグ監督作品である『レイダース 失われた《聖櫃》』は、後に続く「インディ・ジョーンズ」シリーズの記念すべき1作目である。1981年に日本で公開されたアドベンチャー映画であり、スピルバーグ監督の盟友でもあるジョージ・ルーカスが、製作総指揮をした。冒険を中心としたアドベンチャー映画であるにも関わらず、世界的にも高い評価を受けており、第54回アカデミー賞の編集賞や音響賞などを受賞した。
 ストーリーは、大学にて教鞭を振るう傍ら、世界中の宝物を探し出すトレジャーハンターをしているインディアナ(インディ)・ジョーンズ教授。そんなある日のこと、陸軍の諜報部よりナチス・ドイツが、アークのあるとされる遺跡を発見し、その発掘に着手したことを聞かされる。インディは何としてもナチス・ドイツより先に、アークを手に入れるように諜報部より依頼を受けるのであった。アーク研究の第一人者である、レイヴンウッドの持っている杖の飾りが、アークの位置を指し示す。そのために杖の飾りを譲ってもらいに、インディはヒマラヤ山脈の奥地を訪れる。そこで、かつての恋人であったレイヴンウッドの娘であるマリオンと再開する。そんな中、ナチス・ドイツの追手との銃撃戦を掻い潜り、アークの位置を指し示すための地図があるエジプトへと向かうのであった。インディの友人である発掘の指揮をしていたサラーの協力を経て、インディは遂にアークを発見するのだが、ナチス・ドイツに協力していたライバルの考古学者であるベロックに、アークと奪われてしまうのであった。インディは空港に向かっているアークを積んだトラックを襲撃し、何とかアークを取り戻すのであったが、船での輸送中にまたもアークを奪われてしまうのであった。そしてナチス・ドイツにマリオンをもさらわれてしまったインディは、彼女を助けるために再び敵の真っただ中に飛び込んで行く。しかしながら、インディ自身も捕まってしまい、アークの蓋を開く儀式の場所で、縛り付けになる。だがしかし、開いたアークの中から飛び出してきた、精霊や電撃に依って、インディとマリオン以外の人間は死んでしまうのであった。目を瞑っていた二人だけが生き残り、インディは何とかアークを取り戻すことが出来たのであった。
 映画のファーストカットは重要で、多く場合が映画自体の根幹を成す情報が含まれている。今回の『レイダース 失われた《聖櫃》』においても同様である。ファーストシーンおいて、主人公であるインディの顔が、直ぐにスクリーンに映されることは無い。これはインディアナ・ジョーンズというキャラクターが、どの様なキャラクターであるのかというのを、徐々に見せるためである。また映画としてのテーマも、ハッキリと描きこまれており、「人間の欲深さ」が映像によって表現されていた。その事を決定づけていたのが、ファーストシーンでの裏切り者の案内役であり、対比の存在として黄金の像を守る部族の人々であろう。また重要な要素としては、インディが意外にも詰めが甘いということを印象付けていたのではないだろうか。これは作品全体を通して言えることなのだが、それによって何度も、財宝のアークや相棒のマリオンを奪われるなどの、ピンチを招いていたことに繋がっている。だがしかし、その事によってインディ・ジョーズというキャラクターが、ただ単に欲にまみれたトレジャーハンターでは無いのだと、観客に印象付けていたように思う。映画の技術的な面としては、ライティングの技術やカメラワークの演出なども、流石に上手いと言えるだろう。洞窟内での表情を活かすライティングや光を使った仕掛けの演出、そして影の存在による人物の登場シーンなど、明らかに意識的に作られているように感じた。また、カメラワークも秀逸であることは言うまでもない。特殊効果の映像が多く使われているので、それほど情緒的なロング映像は存在していなかったのだか、軽妙なカメラワークとテンポの良いカット編集によって、観客を飽きさせることなく、映画の冒険譚に引き込んでいたように感じた。
 作品のテーマとして、アドベンチャー映画というジャンルでは珍しく、「人間の欲深さ」ということではないだろうか。映像のファーストカットでも、黄金の像に目が眩み、私欲を出した人間たちは次々と死んでいくのである。またラストシーンでも、神の力を手にしようとしたナチス・ドイツやベロックは、神の怒りに触れたような壮絶な最後を迎える。それとは対照的にインディとマリオンだけは、その領域に踏み込むことをせず、生き残ることが出来るのであった。これはアークという存在そのものが、神であるか神聖なモノであるということに他ならない。人間が神の領域に踏み込むことは禁忌であり、それが「人間の欲深さ」であるということを暗示しているのではないどうか。

今回の映画評論は、こんな感じです。
文才が無いに加えて、今回はストーリーの概要部分が、かなりの量になってしまった…。
本当に申し訳ないです。
流石は、世界の巨匠であるスティーブン・スピルバーグ監督の作品だけはありますね。
評論を書いていても、なかなか奥深く、考えさせられる部分や納得の行かない部分が、多くなってしまいました。
それでもエンターテイメント性を失わない作品は、映画史の中でも本当に少ないです。
情報には間違いはないと思いますが、訂正などがありましたら、コメント頂けると嬉しいです。
それと一応ですが、映画評論のリクエストも受け付けていますので。

カリメン2号

友の名を記した帳面

2015年10月08日 17:39

秋と呼ぶにはまだ早く、季節の移ろいを、この目で見ることはまだないですね。
それでも随分と秋の足音が、聞こえて来るように感じるカリメン2号です。
○○の秋と言えば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
カリメン2号は、ダントツで食欲の秋です。
とは言っても、この時期は芸術鑑賞でも、早秋の散策にも、良い季節にあることは間違いないと思います。
そんな時期ではありますが、着実に人肌の恋しい冬が近づいていることは確かであり、今回のブログ紹介は、心温まるようなマンガ作品の紹介をしたいと思います。
心温まるとは書きましたが、それは人間同士に限ったことでは無く、人は色々なものと心を通わせることが出来るのではと思います。
妖怪やモノノ怪などが登場するヒューマンストーリーも多く、今回の紹介する『夏目友人帳』もその一つでしょうか。
ここ最近では、ブログ記事もホラー映画の評論や、落語の怪談話などが多かったので、頭の中が妖怪一色に染まりつつあります。
それを何とかリセットしょうと思ったのですが、ハロウィンも近いこともあり、またまた妖怪関係の話になってしまいました。

ストーリーは、両親を早くに亡くした少年の夏目貴志(なつめ たかし)は、親戚の家を転々とする生活を送っていた。そんなある日のこと、心優しい藤原夫妻に引き取られることになり、新たな生活が始まるのであった。しかし、実は夏目には重大な秘密があり、なんと彼は妖怪という類のものが見える体質であった。ある事が切っ掛けで、神社に付近に封印されていたニャンコ先生こと斑(まだら)を解放してしまい、なぜ自分が付近の妖怪たちから狙われているのかという理由を知るのであった。彼の祖母であるレイコが残した「友人帳」は、彼女が打ち負かした妖怪の名が記されており、名を記した妖怪を統べることの出来る代物であったのだ。夏目は名前を妖怪たちに返すことを決心し、その途中で命を落としたら「友人帳」を、斑に譲る代わりに用心棒をしてもらうことを約束する。名を返してもらいに来る妖怪たちとの出会いと別れは、夏目の心を揺り動かし、何かと騒がしい日々が続いていくのであった。

―小さい頃から時々、変なものを見た。―
―他人には見えないらしいそれらは、おそらく妖怪と呼ばれるものの類―


こんな感じの作品です。
原作者は緑川ゆきという方で、白泉社の『月刊LaLa』という雑誌にて連載されています。
作風は典型的な少女マンガのような、綺麗で美しい絵を書くマンガ家ではないですが、心温まるストーリー構成や穏やかなセルフなどによって、切なくも心温まる雰囲気を作り出している作品です。
妖怪譚でありながら、自分にしか見えないものとの、出会ってしまうことの喜びと、見えないながらも通じ合う心の別れが、何とも切なく愛おしい作品だと思いました。
原作のマンガである『夏目友人帳』は、人気がありアニメやドラマCD、小説にもなっているほどです。
気になる方は、是非とも読んでみてはいかがでしょうか。

今回は、こんな感じのマンガ紹介になりました。
定期的にブログ更新をしていきたいと思っているのですが、なかなか上手くはいかないですね。
ブログにアップする話題が無く、記事の内容を考えるのも一苦労のカリメン2号です。
次回は何の記事をアップするかは決まってませんが、なるべくなら映画評論をアップしたいと思っています。
映画評論を後まで残しておくと、月末のブログ記事のアップが大変なことになりますし…。

カリメン2号