連れ連れなるままに・・・

日々の日常の中で、ふと感じたことを気ままに書いています。 最近観た映画や読んだ小説などの感想、趣味の紹介なども書いていこうと思います。

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Posted by カリメン1号・2号・3号 on

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まさにProjectというプログラム

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暖かい日々になり、段々と初夏の香りが漂ってきた毎日ですが、相も変わらずインドアなカリメン2号です。
最近は小説を読む元気も無く、ミステリー小説なんてよく読んでいたなぁと、過去を振り返るばかりです。
コミックは難なく読めるのに、何故だ…。
それはそうと、特に小説の趣味が変わってきた事は事実で、これが年齢による変化なのかは定かではないです。
まぁ、趣味嗜好は人それぞれで、どんなに親しい友人や同じ時間を経験しても違うもので。
そのことが自分にとって、まだ見ぬ世界や知識を与えてくれる事は確かなようです。
先日、友人との飲み会にて、大学時代の事を思い出すきっかけになりました。
特に優秀な大学という訳では無かったのですが、何故か周りの友人達は博識な人間が多かったように思います。
カリメン2号と友人になってくれるような人達ですから、人間として心が広く、また趣味・思考も似通っていたのでしょう。(それは友人達に対して、失礼か…。)
まぁともあれ、大学時代の旧友たちと、ある程度のものは同じものが好きになる事が多いです。
映画やミステリー小説、音楽などの共通の話題が多くなるのも、それが理由でしょう。
しかし、ある程度ということが実は重要で、こと読書に関しては、やはり差異というものが生じるのは否めないのです。
その事が、自分の知らなかった世界を見つけるためには、必要な事のように思います。
そのためにも、定期的であるのですが友人達のおススメの本や作家さんなどの話を聞くことがあるのです。
ただ、ここでカリメン2号自身に性格によって問題が生じることあるのです。
色々と面白い本やコミック、映画などを紹介してもらっているですが、カリメン2号自身があまり人の話を聞かない場合が多い…。
あまり良い事ではないのですが、今まで色々な人におススメの本を紹介してもらいましたが、自分のフィーリングに合った本と出合えた事が少ないのです。
あぁこの人は、こんな本が好きなんだなぁと思う程度に終わってしまうことも、しばしばです。(人に聞いといて、何たる失礼さ…。)
それでも紹介してもらった作品の中には、「これは面白い!!」と思うものもありました。
例えばですが、ミステリー小説で言うと折原一さんの『耳をすます部屋』や、北山猛邦さんの『私たちが星を盗んだ理由』などが挙げらあれますかね。
コミックなどでは、古屋兎丸さんの『Palepoli』(パレポリ)や士郎正宗さんの『攻殻機動隊』などが良かったですね。

前振りが、また長くなってしまいました…。
本当にすいません。
そんな訳で今回紹介する小説も、大学の友人に薦めてもらった一冊です。
カリメン2号の中では現在、最も注目している小説家の本なのですが、才能がありながらも、若くして亡くなってしまったのです。
彼の名は伊藤計劃(いとう けいかく)という作家で、処女作である『虐殺器官』という小説は、SFでありながら「命とは何か」を読者に問うてくる作品になっています。

ストーリーは文明が発展し、戦争がビジネスとして成り立つようになった近未来の世界。主人公のシェパード大尉は、各地でテロや虐殺をする独裁者を、暗殺する任務を遂行するアメリカ合衆国の優秀なエージェントであった。そんなある日、ジョン・ポールなる人物の暗殺指令が、シェパード達の部隊に下った。彼はいったいどの様な人物なのか、知らされること無く任務に向かうのであったが、何故か彼の訪れる地域や国で内戦や虐殺が行われているというのだ。人々を虐殺に導くション・ポールの暗殺が、何度も計画されるが、その度に失敗に終わっていたのであった。彼を追う過程で、ルツィア・シュクロウプという女性が、ジョン・ポールの愛人であると突き止める。彼女に近づきジョン・ポールの居場所などの情報を引き出そうとする中で、シェパードは部隊の仲間を失いながらも、遂に部隊の上層部だけが知る彼の秘密を知っていまうのであった。やっとの思いで虐殺の王であるジョン・ポールと対峙したシェパードは、彼と話しているうちに自分の内面性と向かい合うことになる。彼が虐殺を行う理由に嫌悪しながらも、ある部分では理解できてしまう自分。暗殺という任務に疑問を感じ始めたシェパードは、ある決断をする。彼のとった決断とは…。


「心臓や腸や肝臓が遺伝子によって、あるべき形に造られているのに、心だけが特権的に自由であることなど、ありえない。」


SFの近未来的でありながら、何処か今の世界情勢に近い世界観は、恐ろしいほど現代に酷似しているように感じる作品です。
良作の小説に多く見られる、人間の本質を捉えようとしたようなテーマ性は読んでいるものを、見事に作品に引き込んでいたように思います。
文章自体は小難しいように感じ、また言い回しがくどい部分もあったのは残念ですが、それでも文章の一つ一つにのようなものを感じました。
例えばですが「地獄は頭のなかにある。だから逃れられないものだ。」や「死者はぼくらを支配する。その経験不可能性によって。」という文章が作品の中には登場しますが、それはまさに、人間の生と死の境界であり、SFという枠組みの小説でありながら、作品の根幹を成しているのです。
そしてその事が、伊藤計劃という著者自身の根幹であるように感じました。
また、SF作品として現代に通じる部分も多くあり、「愛する人々を守るためだ。」と虐殺を行うジョン・ポールは、大義名分を掲げて、戦争を行っている姿は、今現在戦争や紛争を行っている国の姿そのものでした。
この事は引いては日本の未来も、そこに行きつくのではないかと感じました。
「愛国心が戦争の動機の座に就いたのは、いつだろうか。」という台詞の通り、それは殺すべき相手と守りたい人との選別であり、愛国という名の虐殺行為に他ならないと警鐘を鳴らしている作品のように感じました。
それにしても、この小説を読み終わった時に思った事は、この『虐殺器官』が処女作と言うのだから、この才能は末恐ろしいという思いでした。
しかし、残念なのが上記にも書いているのだが、若くして亡くなられてしまった…。
まったくもって、カリメン2号が気に入った小説家さんは、ことごとくと言って良いほど亡くなられる方が多いですね。
何か呪われているのではないかと、少し心配になってしまうカリメン2号です。

今回はこんな感じです。
タイムリーと言う訳では無いですが、日本の安全保障が叫ばれる昨今において、未来視的な内容の作品紹介でした。
次回は何をアップするか分かりませんが、気長に待っていただけると助かります。
正直、映画評論をアップしたいのですが…。

カリメン2号

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勉強の大切さ

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季節が巡り、新生活にも慣れてきた今日この頃ですが、生きる事全く慣れないカリメン2号です。
そんなカリメン2号にも、初々しい学生時代があったのですが、今になって思うと自由に生活し過ぎていたと反省する日々です。
カリメン2号にとっては、大学時代の生活は黄金時代で、息苦しく感じた地元の空気からの解放でした。(今でも地元は、嫌いでは無いですが好きでもないです…。)
しかし、いかに自由な大学生活を謳歌していたと言っても、学生の本分である「勉強をする」という事は、それなりに大変な事で、特に高校時代の基礎知識(基礎学力)は、どの様な大学に行っても付きまとって来るものです。
それを大学生活で、痛感したのを思いだします。
大学での成績は悪い訳ではなく、それなりに勉強をしていましたが、高校生の時には全くと言って良いほど、勉強をしていませんでしたので…。(大学と高校の成績の落差が、凄まじい事になっている…。)
まぁ、そのサボっていたツケが大学生の時に回ってきた訳ですよ。
大学時代を振り返ると、本当に周りの友人達には優秀な人間が多かったなぁと思います。
そんな中で、自分の基礎知識の無さが情けなく感じたのは言うまでも無いです。
それでも自分の興味のある分野は、それなりに勉強していたように思います。
しかし、ある学会での懇親会で大学の勉強って何だろうと考えさせられる事がありました。
それは、とある研究生と話している時に、ある研究書を読んで無かった事により、その研究生の方と会話が噛み合わなかったのです…。
その研究生の方は、特に意味のある事とは思わずに言ったのでしょう。
バカにするつもりでは無く、「〇〇(研究書)という本を読んでから、そういう事を言いなよ。」みたいなキツイ言い回しをされました。
確かに勉強不足なところは事実でしょう。
しかし、特にその分野の研究をしている訳では無かったカリメン2号にとって、正直に言うとショックを受けました。
大学とはモノを知らなければ、発言してはいけないのだろうかと、疑念を学問に対して感じました。
それでは閉塞的な地元と、何も変わらないではないかと思い、その後の懇親会では誰とも話さずに即帰宅。
共に懇親会に参加していた友人からは、とても心配されてしまいました。
カリメン2号が単純であるだけの事なのですが、あのような事を大学で学問を学んでいる研究生が、簡単にするべきではないと思うのです。
学問研究を行っている多くの方は、自分が研究している得意分野に、会話の土俵を持っていきたがるような節があります。(決してそのような研究者ばかりではないのですが…。)
研究者も人間ですので、仕方がない部分はあると思います。
しかしそれでは、きっと知識の幅を狭めてしまっているように感じますし、何やらもったいないように感じました。

今回はこんな感じです。
久しぶりに友人と会い、大学時代の事を思い出してしまいました。
大学での過去のレポートとかを今見ると、現在よりも物事について考えを巡らせていたり、当時はこんな事を書いていたのかとビックリさせられます。
今では書けないよな、レポートもあるのですよね…。
いやはや、大学で勉強してきた事が、全くもって自分の身になっていない現状にが出そうです。

カリメン2号

映画評論30

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新緑の季節は、まさにドライブ日和ですね。
そんな日々にもかかわらず、運転するのが億劫であまり運転をしないカリメン2号です。
ブログをアップするスピードも、運転のスピードも低速ギリギリな状態です。(と言うかアウトなのではないかと思うのですが…。)
まぁ、物事にはスピードが重要な事も多いですが、のんびりと行きたいなぁと思うカリメン2号です。
今回は、そんなスピード重視の車に関する映画評論をアップしたいと思います。
しかし、残念ながら「ワイルドスピード」シリーズでは無いので、期待はしないで下さい。
毎回の事ですが、ネタばれなどの情報もアップしているので、嫌な方は見ないで下さいね。

『60セカンズ』
 200年前までは、馬車が道路を走っていた時代、今や多くの自動車が生まれ、そして歴史の中に消えていった。現代社会にとって自動車は無くてはならないものになりつつある。それは走る事だけに特化しているのではなく、デザインや乗り心地、地球環境に至るまでになった。そんな車の美しさを見ることが出来る映画が『60セカンズ』である。監督はアメリカのドミニク・セナで、長編映画の本数は少ないものの『ソード・フィッシュ』などを手掛けた監督である。
 ストーリーは、60秒で高級車を盗みだす伝説の車泥棒のメンフィス・レインズ。しかし、6年前に車泥棒から足を洗い、姿を晦ましていたのだが、弟のキップ・レインズが車泥棒の仕事でドジを踏み、レイモンド・カリートリーに命を狙われてしまう。弟の命と引き換えに、メンフィスは50台の高級車を盗むように指示されるのであった。メンフィスは過去の仲間たちを集め、仕事に取り掛かろうとするのだが、メンフィスを追っていたキャッスルベック刑事に感づかれてしまう。それでも何とか49台の高級車を盗みだすことに成功するのだが、最後の1台で、メンフィスにとっての鬼門であるシェルビーGT500「エレノア」を盗んだところを、キャッスルベックに見つかってしまうのであった。彼の追跡を振り切るために、町中を巻き込む逃走劇が始まるのであった。
 映画のファースシーンに多くに、その映画自体のテーマが集約されているのは言うまでもなく、この『60セカンズ』も「家族の絆」というものが盛り込まれている。ただ車泥棒という設定の中で、「家族の絆」というものを描くにあたって、窃盗の仲間は家族みたいなものとして描かれている。そこにメンフィスとキップの兄弟の絆を上手く取り入れる形の物語となっている。特に印象的だったのがライティングや色を使った演出で、作品全体を通して意識されていた。ライティングに関してはメンフィス達が、何か悪事をする時や彼らの都合の悪いことが起こりそうになると、寒色系のライティングがなされ、それによって緊張感を演出していたように感じた。また事態が好転する場合やメンフィス達の心の変化などには、暖色系のオレンジ色っぽいライティングがなされている。それは、物語が夜から朝に変わって行くのと同じように、メンフィス自体の心情変化との同期がなされていたように思う。ライティングを含めた色の演出も要所に見てとれ、特に赤色の小道具が象徴として使われている。キップが殺されそうになる時の車の色や最初に盗みだした車、スウェイが窃盗に参加するために乗りつけるバイクなどが赤色であり、物語を区切る目安になっていた。車泥棒という設定のため車内のライティングは、顔が潰れないようにする配慮がなされていたが、多少の違和感があったのは残念でならない。カメラワークにも工夫がなされており、窃盗という犯罪の緊張感を、俳優達の表情や演技によって表現していたのは、上手い演出だと感じた。またラストのカーチェイスシーンでは、カーチェイスに多くみられるロングショットを敢えて少なくし、動きの多いカメラワークや車内の俳優の表情によって、映像自体にスピード感を出していたように思う。
 作品としてのテーマは、先にも述べたように「家族の絆」がメインテーマに据えられている。しかし、設定が車泥棒ということもあり、窃盗を映像のメインに据えていたが、盗み自体をカッコ良く見せ、窃盗を肯定する部分は少ない。それはメンフィスとキップのシーンからも明らかで、メンフィスの「金のためじゃない、車が俺に盗んでくれと訴えてた。その車で走っていると生きている実感が湧いた。しかし、仲間は撃たれ死んだり、何人も捕まった。最悪だ。」というセリフに集約されていたように思う。またファーストシーンでのドライビング教室での「自尊心、想像力、決断力、レーシングドライバーの条件で、スピードが命ではない。」というセリフも、メンフィスの盗みの極意に繋がっている。しかし、それは自分が欲しい物は、正当な方法で手に入れなければならないというメッセージであり、それがラストシーンに集約されているように思う。無事に問題を解決したキップは、兄の気持ちを知り、自分のバイクの部品を売って、メンフィスに「エレノア」を贈るという映像に繋がっていく。まさに家族の絆そのもののようなエンディングであった。

今回はこんな感じです。
毎度の事ながら、本当にまとまっていない映画評論。
これで評論と言っている時点で、ダメのような気がしますが…。
文才が無いから、しょうがないと諦めて見ていただけると助かります。
次回は何にするか決まってませんが、また早めにアップできるように頑張ります。
一応ですが、情報に間違いや映画評論のリクエストがありましたら、コメントいただけると嬉しいです。

カリメン2号

さぁ、ゲームの時間だ。Part3

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季節は新緑となりつつ、生命の息吹を感じる季節になりました。
そんな外出日和な毎日ですが、何故か埃を被っていたゲーム機に、久しぶりに電源を点けてみた、インドアなカリメン2号です。
最近は年齢のせいもあり、めったにテレビゲームをしなくなりましたね。
それでもカリメン2号が名作だと思っている、過去の作品たちを紹介していたいと思っております。
古いゲームには浪漫があると思っているので。
それでは今回紹介するゲームは『ブレス オブ ファイアⅤ ドラゴンクォーター』です。

カプコンが2002年の11月に発売した、PS2用のRPGで「ブレス オブ ファイア」シリーズの5作目として、制作されたゲーム作品です。
今までのシリーズには無い、独特なゲームシステムを採用し、作中の主題歌には鬼束ちひろの『Castle imitation』という曲がエンディングに採用されました。

ストーリーは大昔に発生した災厄により、地上は瘴気に覆われてしまった世界。体に害にをなす瘴気から逃れるために、人々は地下に都市を形成して生活をしていた。地下都市に生活する人々は、階層に分かれて生活をしており、その能力(D値)によって、下層区街や中層区街などに居住していた。個々のD値によって、高い者は上層への居住が許され、衛衛生状態や空気の良い環境が与えられる。そんな世界の下層区でレンジャーをしている主人公のリュウは、護衛任務の最中に、ニーナという羽の生えた少女と出会うのであった。彼女を捕まえようとする、反政府グループの「トリニティ」やレンジャーの仲間からも、追われるようになるリュウは、ニーナとリンという仲間と共に、世界の真実を追い求めるようになる。そこにはニーナと地下世界に隠された秘密があったのだ。

「君を、空へ連れて行く」

というような感じのゲームです。
上記にも書いたのですがゲームシステムも独特で、今までの「ブレス オブ ファイヤ」シリーズには無い、「D-カウンター」なるものが、序盤から画面右上に表示されるようになります。
この数値は常に表示され、主人公のリュウが竜のアージンにどの程度、侵食されているのかを表しています。
侵食率の数値は、一度でも上がると数値が下がる事はありません。
また、リュウがドラゴナイズド・フォーム(変身)する事によって、戦闘においては絶大な力を発揮するのですが、D-カウンターの数値も大幅に上昇します。(何もしなくても、少しずつ上昇はします。)
そして何より面白いと感じたのが、この侵食率が100%に達するとゲームオーバーになるということです。
強大ではあるが諸刃の力を手に入れた主人公のリュウ。
どのタイミングで、その力を使うのかプレイヤー次第というところが、このゲームの醍醐味になっていると思います。
また、今までのシリーズのようなファンタジーでは無く、地下世界のみという世界観も、作品の雰囲気に合っていたように思います。
ただRPGとしては珍しく、『バイオハザード』(BIO HAZARD)と同じような、消費アイテムによってセーブが出来るシステムは、このゲームの難易度を格段に上げてしまっているように感じました。
また、セーブデータはシリアルナンバーが記載され、データのコピーが出来ない仕様になっています。
そこの部分が少しだけ残念に思いました。
しかし、それを差し引いてもシナリオは面白く、キャラクターの感じも好印象でした。

今回はこんな感じです。
ゲーム紹介や小説の紹介も、もっともっと増やしていきたいのですが、なかなか筆不精なもので…。
次回は何するかまだ決まってませんが、そろそろ映画評論をアップしたいと思っています。
また、ブログにアップした情報の訂正やゲームをしてみた感想、映画評論のリクエストなど、コメントを頂けると嬉しいです。

カリメン2号

映画の始まり

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   0 comments   0 trackback

映画週間だったのに…。
ゴールデンウィークだったのに!!
そんな輝かしい期間も終わってしまい、全くと言って良いほど映画を観ていないカリメン2号です。
折角のゴールデンウィークだったので、ゴールデンウィーク企画ということで、映画評論をアップする予定が、見事に失敗してしまった…。
やはり予定は未定ってことなんですかね。
それは兎も角として、今回は少しだけ映画の歴史について話したいと思います。
ですが本や資料によっては、映像の起源には諸説あるので、ここの情報だけが正しいという訳ではありません。
その事を踏まえつつ、読んで頂けるとありがたいです。

現在の映像とは残像を利用したもので、古くは影絵のようなが、18世紀になりスリットを利用した、フェナキスティスコープやゾートローブが動く映像の原型なのではと考えられている。
そんな時代の中で1878年当時に、疾走中の馬の足は、4本とも地面から離れる瞬間はあるのだろうかという論争が続いていた。
そこでアメリカの写真家(産まれはイギリス)であるエドワード・マイブリッジは、12台のスチールカメラを使用し、疾走中の馬の連続撮影を行い、その論争に終止符を打つのであった。
連続した写真とフィルムを映し出す幻燈機が合わさり、プラクシノスコープが制作された。
19世紀末の当時、西洋の各地では「自動的に動き、映像を再現する装置」が盛んに発明されるようになり、その事が「映画」というメディアの誕生の諸説となっている。
発明王のエジソンが開発したキネトスコープをはじめ、キネマトグラフやヴァイタスコープなど、そしてエジソンの撮影機であるキネトグラフから発想を得て、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明するのであった。
「映画の父」と言われているのが、エジソンとリュミエール兄弟である。
どちらが「映画の父」と呼べるのか諸説ありますが、エジソンのキネトスコープは、ボックスを一人で覗きこむようなタイプであり、リュミエール兄弟のシネマトグラフは、スクリーンに投影するようなタイプでした。
現在はリュミエール兄弟が開発したような、スクリーンに映し出すようなタイプが「映画」と認識さています。
映画の始まりはリュミエール兄弟が、自分たちの撮影した映像を、パリのグラン・カフェというところで有料の試写会を開き、それが世界で最初の映画とされている。
その時に公開した作品の中に『ラ・シオタ駅への列車の到着』(もしくは『列車の到着』)という作品は、駅のホームに蒸気機関車が入ってくる情景を撮影したもので、初めて映画を観た観客達は、迫りくる列車を見て、観客席から逃げ出したという話は有名である。

今回の映画の雑学は、こんな感じです。
正直に言いますと、まだまだ書き足りない部分や、補足しなければならない部分もあり、映画の歴史も続くのですが、まずは映画の始まりということで。
年月日などの間違いがあるかもしれませんが、その時はコメントいただければ助かります。
本当はゴールデンウィーク企画でアップしたかった…。
次回のブログアップは決まってませんが、早めにアップしたいと思います。
出来ればですが…。

カリメン2号

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