連れ連れなるままに・・・

日々の日常の中で、ふと感じたことを気ままに書いています。 最近観た映画や読んだ小説などの感想、趣味の紹介なども書いていこうと思います。

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Posted by カリメン1号・2号・3号 on

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好きなものが完結しない…。

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ゴールデンウィークを前にして、全くと言って良いほどゴールデンではないカリメン2号です。(意味不明ですね。)
前回から、全くと言って良いほどブログに書くことが無い…。
色々と思うことがあるのですが、断片的で考えがまとまらないのが現状です。
しかも、最近はカリメン1号のブログ記事のアップも無く、孤軍奮闘と言ったところでしょうかね。
なので今回のブログは、好きなライトノベルを紹介しょうかなと思います。
学生時代から始めた読書は、多くの場合がライトノベルか推理小説ばかりを読んでいました。
なので最近のライトノベルは分からん作品が多い…。 (まぁ、アニメ化されているものも多いので、見たことある程度のものは多いかも。)
しかし、何故か好きな作品が完結しない場合が多い。
前の記事で書いた『ラグナロク 黒き獣』は打ち切りみたいになっていますし、今回紹介する『トリニティ・ブラッド』に至っては、著者である吉田直さんが亡くなられてしまっているのです。
そんなこんなで今最も不安なのは、小野不由美さんが執筆している『十二国記』は、ちゃんと完結するのだろうかという事です。
正直に言いますと不安が拭いきれないです…。
それは兎も角として、今回紹介するのは『トリニティ・ブラッド Rebom on the Mars 嘆きの星』という作品です。

 ストーリーは、世界の全てを巻き込む大戦であった大災厄のアルマゲドン。大戦後の文明の破壊された世界で、人類はヨーロッパ周辺にまで生存圏を狭められた。しかも文化や生活水準は中世のヨーロッパまで後退してしまったのであった。そんな人類に追い討ちを掛けるように、何処からともなく現れた人の血を飲む吸血鬼(長生種)。彼らとの戦いに教皇庁なるものを立ち上げ、そして辛くも勝利した人類であった。だがしかし、彼らを完全に滅ぼしたという訳ではなく、吸血鬼(長生種)達は彼らの国である真人類帝国なるもを築き、人類側の教皇庁との小競り合いを続けていたのであった。そんな中で、人類側である教皇庁と吸血鬼側である真人類帝国の境にあるイシュトヴァーンという都市に、主人公である巡回神父のアベル・ナイトロードが降り立つのであった。そこで教会に預けられ、見習いシスターとして育てられたエステル・ブランシェと出会うのであった。彼女は親代わりになっていた司教を、イシュトヴァーンの支配者であるハンガリア侯のジュラ・カダールに殺され、彼を亡き者にしようと復讐に走るのであった。しかし、街の支配者であるジュラ・カダールも、最愛の妻あったマーリアを街の市民に殺された過去があり、その復讐を旧時代の衛星兵器である「嘆きの星」を用いて、教皇庁の滅亡を企んでいたのであった。アベルは教皇庁の派遣執行官として、ジュラ・カダールの企みを阻止しようとするのだが…。

―汝、目をそらすことなかれ。―

とストーリーはこんな感じです。
内容が気になる方は、是非とも手にとって読んで頂きたいです。
作品の全体的な構成や文章のテンポが良く、読んでいてそれほどストレス無く読めると思います。
また、作品の根幹をなすテーマが吸血鬼(長生種)人類(短生種)対立葛藤の想いが、物語に上手に絡んでくる部分が良かったです。
作品として『吸血鬼ハンターD』と世界観が似ていますが、こちらの方が政治や世界情勢などの作り込みは、上手に感じました。
元々はライトノベル雑誌である『ザ・スニーカー』にて連載されていた作品で、短編の『トリニティ・ブラッド R.A.M』と書き下ろし長編の『トリニティ・ブラッド R.O.M』2つのシリーズからなっています。
角川スニーカー文庫より刊行された本作品は、当時の角川スニーカー文庫を代表する作品となっていました。
また何よりも良いのが、THORES柴本さんによる幻想的で耽美なイラストですかね。
『トリニティ・ブラッド』のイラスト担当に抜擢され、イラストレーターとしてデビューした方で、作品は物語の雰囲気をそのままに、描き込まれたイラストは、まさに絵画そのものような美しさです。


今回は、こんな感じです。
最近のライトノベルはちょっと好きになれないとか、壮大な世界観で描かれたバロックオペラのファンタジーに、興味がある方は是非とも読んでみて下さいね。
カリメン2号にとっておススメの一冊です。(まぁ、シリーズものなんですが…。)
とは言うものの未完まま終わってしまったのは、残念でなりません。
『ザ・スニーカー』という雑誌に作者死去の記事が載った時の衝撃は、今でもハッキリと憶えています。
作品のファンとしては、やはり物語が完結しないのは悔しいですからね。
現在、執筆中である『十二国記』は、果たして完結を迎えるのだろうか。
続きを読める事を、切に願っているカリメン2号でした。

カリメン2号

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生徒会と選挙

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もうすっかりと春めいてきているというのに、カリメン2号は相変わらずのローテンションです。
なのに、何故だか頭の中だけは、毎日がお花畑だという惨状…。
それは兎も角として、早めの更新をと思ったのですが、話題が全く無い。
仕方がないので、少しだけ政治的な話をしたいと思います。
まぁ、正直に言いますと避けたいとは思っているのですが…。
過去の思い出と共に記事を書こうかなと思いますので、昔話に付き合って頂ければ、嬉しく思います。

皆さんは、政治に感心を持ったのは何時ごろでしょうか?
カリメン2号は遅く、高校生の時に経験した出来事が、今の政治的思想に多く結びついています。
まぁ、多く人の場合も、やはり過去の経験が強く関わってくるのではないでしょうか。
カリメン2号は、どうも選挙というものが昔から苦手でした。
小さい頃から中学校までは、政治とは自分に無関係な、遠いところで行われているものである、という認識が強かったからです。(それは「百円玉を握りしめて。」でも明らかでしょう。)
特に生徒会役員に立候補し、生徒のために仕事をする人間の気など、まったくもって理解しえないとさえ思っていたほどです。
事実、高校生になるまでの学生時代に、生徒会との関わりは一切無く、生徒会役員の選出選挙も、ただのイベント行事に過ぎなかったのです。
しかし、ある事が切っ掛けとなり(単なる自分の不注意)で高校では、生徒会役員をする羽目になったのです。
その事が生徒(特に若者)の「政治」への無関心さに気が付く切っ掛けになったのでした。
今現在は不明ですが当時は生徒会役員になるには、役員選挙で全校生徒の半数以上の賛成票によって、信任とされるものでした。
自慢ではないですが、カリメン2号は学校でも有名な変人(自覚は無いのですが…。)でしたので、信任はされないだろうと高を括っていたのです。
しかし、何を間違ったのか、ギリギリではありますが半数以上の賛成票によって、生徒会役員になってしまったのです。
この強制ともいえる生徒会政治の投票制度は、投票率はほぼ100%であり、信任不信任のみに限定される場合が多いです。
まぁ、いわゆる選択余地なしってな訳です。
生徒会の方針を選択するための幅が、あまりにも狭すぎるのが現状であり、その姿は現代社会の選挙そのものに近いでしょ。
しかし、いくらカリメン2号でも選出されたからには、最低限の仕事をこなし、信任してくれた生徒にとって、より良い学生生活を送ってもらうのが、生徒会の務めと奮起していました。
だがしかし、現実というものは厳しいもので、自分自身が考えた事は出来ず、通例道理に仕事を進めていく事ばかり。
ましてや先生方の機嫌を窺いながらの仕事は、生徒会が掲げていた改革という言葉などとは、程遠いものでした。
その腐敗しきった様子は、まさに政治社会の仕組そのものように感じました。
元々、カリメン2号は社会に準じ、世間を上手く渡っていけるような人間では無いので、先生方との衝突が多かったです。
そんな中で、ご機嫌取りの生徒会長とは反りが合わず、最低限の仕事しかしなくなっていきました。(今思うと、こんなのでよく信任されたなと今でも疑問です。)
解任される事も無く、なんとか任期を満了しましたが、こんな仕事は二度とゴメンだという想いになったのは、言うまでも無いでしょう。
そんな選択肢の少ない生徒会役委員選挙でさえ、この有様である。(カリメン2号の学校だけかも…。)
ましてや地方自治や国政選挙は、今や多様性に満ち溢れていますが、果たして何を優先して選ぶべきなのか、学生のうちから考えることが、必要なのではないだろうかとカリメン2号は感じるのです。
成人を18歳に引き下げ、政治に参加させる事が叫ばれている昨今ではありますが、意味の分からない多数の票によって、国の方針が決まってしまう選挙の意味はあるのか、甚だ疑問に感じてしまうのです。

今回はこんな感じです。
まぁ、書きたかった事の半分も書けてないですが、良いでしょう。(あまり突っ込みすぎると、ブログが炎上してしまうので。)
かなり時間が空いてしまいましたが、なかなか筆不精なもので、申し訳ないです…。
次回は何を書くか決まってませんが、何か紹介出来れば良いなと思っております。

カリメン2号

命を食べること

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

春だと言うのに、カリメン2号の心の花は一向に芽吹く気配が無いです。
久々のブログ記事なのですが、なかなか元気が出ず、映画評論や紹介が全然できてないですね…。
今回も最近のアニメについて少々、書こうかなと思いパソコンに向かっている次第です。
つい先日、最終回を迎えてしまった『東京喰種トーキョーグール√A』と『寄生獣 セイの格率』のという作品が気に入っていたので、その事について話したいと思います。
この二作品には、共通のテーマがあるように感じました。
その共通項が、作品自体のクオリティを上げているのではないかと思うのです。
それは「命を食べること」に他ならないのではないでしょうか。
カリメン2号も多くの作品を観ている訳では無いのですが、やはり生き物としての根幹をなすテーマである事には間違いないのです。
特に、これだけ食べ物があふれている現代社会において、「命を頂く」ということ忘れがちになっているのは、事実でしょう。
若い人の中には、切り身の魚や解体された肉、綺麗に整えられた野菜しか見たことの無い人もいると聞いたことがあります。
正直、カリメン2号にとってはシンジラレナイです。
生き物が生き物を食べ、そして生きているという事を自覚していないということの表れではないでしょうか。
だからこそ、この「命を食べる」というテーマのアニメ作品が、人気になっているように感じました。
これはとても恐ろしい事のように、カリメン2号は思うのです。
過去の記事で、カリメン1号がブログに書いた「生命の重さって何だろう?」という事に繋がっていくのですが…。
「命を食べる」という事は当たり前のことで、それをしないで生命は成り立たないのは当たり前の事ですし、それは植物においても変わらないのです。
カリメン2号の発想は、ある意味で動物的であり、サイコパス的な発想であると思われるかも知れませんが、あえて言わせていただきたい。
『東京喰種トーキョーグール√A』の作中で、ある言葉を芳村店長が言っているのですが、カリメン2号は疑問に感じてしまったのです。
「奪う行為は、等しく悪だ。我々は、産まれ落ちたその瞬間からなにかを奪い続ける。『命』とは、罪を犯し続けるものの事。『命』とは、『悪そのもの』。」という台詞であるのですが、それは正しくもあり、間違いでもあると思うのです。
確かに『命』とは奪い続ける事ではあるのだが、それが『悪そのもの』とは限らないということ。
そもそも「善悪」なんてものは、人間が勝手に決めた価値基準に過ぎないということなです。
生物は生きるために、他の生物を食べるが、その行為自体は「善悪」ではなく、ただの生命維持活動に過ぎず、人はそれを忘れがちになっているだけではないのかと。
その事をこの二作品のアニメを観て、感じたカリメン2号でした。

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