映画評論26

2014年11月24日 14:14

連日の報道で、高倉健さんが注目を集めている。
改めて偉大な俳優なのだと感じると共に、亡くなってしまったのが惜しまれる…。
相変わらずのローテンションのカリメン2号です。
今回の評論も高倉健さんの映画評論ではありません。
まぁ、許して下さい…。
毎回の事ではありますが、ネタばれもありますので、嫌な方は見ないで下さいね。

『グーニーズ』
 今や海賊映画と言えば『パイレーツ・オブ・カリビア』ですが、歴史の中には様々な海賊映画が制作されてきた。『パイレーツ・オブ・カリビア』のような王道な海賊映画から、大人になったピーターパンとフック船長の物語である『フック』のような物まである。特に海賊の財宝は、ファンタジーや冒険譚などに多く登場している。そして、今回評論する映画の『グーニーズ』にも大きく関わっている。メガフォンを取ったのはリチャード・ドナー監督で、『オーメン』や『リーサル・ウェポン』シリーズを手掛けた、アメリカの映画監督である。また、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグを迎えており、作品の雰囲気はどこか少年版の『インディ・ジョーンズ』のような内容になっている。
 ストーリーは、古くから海賊の伝説が残る、グーンドックという田舎町で暮らすマイキーの一家は、借金によって明日には立ち退きのサインを、書類にしなければならなかった。マイキーと彼の友人達である、落ちこぼれ少年団の「グーニーズ」は偶然にも、屋根裏部屋で17世紀に書かれた古い宝の地図を発見する。それはマイキーの父親が話してくれていた伝説の海賊、片目のウィリーの地図だと確信したグーニーズは、宝探しの冒険に出かけるのであった。財宝の洞窟の入り口には、古いレストランが建っており、そこに侵入するグーニーズであったが、そこには凶悪な脱獄犯のフラテリ一家が隠れていた家であった。地下に降りるトンネルを見つけ、奥に進んでいくグーニーズ達は、勇気と知恵でウィリーの仕掛けた謎を解き、財宝を目指して進んで行く。しかし、財宝の話を聞きつけたフラテリ一家が、彼らの後を追ってくるのであった。フラテリ一家の魔の手から逃げようと、皆で力を合わせてウィリーの謎を解いていくグーニーズ達は、ついに財宝の積まれたウィリーの船を発見するのであった。
 映画のファーストカットの重要性については色々と語って来たが、この『グーニーズ』でもキャラクターを表現するのに使っていたように思う。フラテリ一家のカーチェイスを追いながら、グーニーズの日常を見せて行く演出は、これから彼らが巻き込まれる大冒険を暗示しているように感じた。作品のライティングに関しては、あまり上手いとは言えない部分が目立ってしまっていた。特に野外でのシーンは、色合いが悪く、とても暗い印象になってしまっていた。また室内での俳優たちの表情が、潰れてしまっている所もあったのが残念である。しかし、映画の後半になると、蝋燭や洞窟内、そして海賊船内のライティングは違和感なく観ることが出来た。全体的に水の演出が多かったのも特徴の一つであり、多くのシーンで印象的に使われていた。マイキーの家での雨シーンは、主人公であるマイキーの悲しみの演出であり、ウィリーの洞窟を発見する手助けをするのが飲み水であったり、願いごとの井戸では降り注ぐ水が、まるで宝石のような印象を与えていた。映像として壮大なストーリーにしては、印象的なロングカットは少なかったが、それでも軽妙なカメラワークと息もつかせぬ展開で、観ているものを映画の中に引き込んでいくような魅力を感じた。特に片目のウィリーとの対話シーンが印象的で、カメラアングルでいうと、マイキーはウィリーと向かい合って話しかけているのに対し、フラテリ一家が話しかけている時は、そっぽを向いている構図になっている。これはマイキーがウィリーを、尊敬し理解しているという演出の他ならないのである。
 この映画の根源的なテーマとして「仲間との絆」が一貫として、作品の印象を決めていたように思う。彼らは「グーニーズ」(おめでたい仲間)と呼ばれ、メンバーは個性的で変わり者扱いされているが、友達の事を理解し、互いに大切に思っている。その事がフラテリ一家を退け、大切な家族の居場所を守ることに繋がったのだ。対象的にフラテリ一家は全員で、グーニーズを追いかけるものの、兄弟で争うなど不仲な印象が強く、最終的に警察に捕まってしまう。そして何より片目のウィリーという存在が、グーニーズの自己実現するための大きな壁として描かれていたように感じた。それは演出の中でマイキーが言ったセリフによって表されていた。マイキーがウィリーの遺体と向かい合った時に、ウィリーのことを「おめでたい仲間」という言い回しのセリフをしたことだ。多くの輝く財宝を手に入れても、仲間を信じられず、船員を皆殺しにしたウィリーは、マイキー達が成りたくない大人の象徴なのだ。だからマイキーは、子供の象徴として宝石の偽物であるビー玉を置いて、輝く本物の宝石をビー玉袋に入れるという演出になったのであろう。

今回はこんな感じです。
評論の出来は置いといて、二回連続で少年少女の冒険譚ですね。
何やら、映画のテーマすらかぶる部分が多かったように思います。
どちらにも言えることなのですが、落ちこぼれではあるが、一芸に秀でた子供たちの冒険譚は、観ていてワクワクします。
次回は何をアップするか決まってませんが、また早い段階で評論をアップできればと思います。
一応ですが、リクエストも受け付けていますので、よろしくお願いいたします。

カリメン2号
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髪は乙女の命

2014年11月22日 01:52

Z…。

あまりに寒い日々が続くので、遂に冬眠を開始したカリメン2号です。
早く春が来ないかなと思ってしまいます。
冬という季節は好きですが、寒いのは大っ嫌いです。
部屋の片づけをしていると、懐かしい思い出に、思わず出くわしてしまうものです。
今回はそんな思い出についてです。
まぁ、独り言と変わらないのですが…。

今でもそうなのですが、カリメン2号は髪を触られるのが、極端に嫌です。
それは親であろうと、友人であろうと、散髪屋さんの店員であろうと。
散髪は仕方が無いので我慢しますが、好き好んで行く訳では無いですね。
幼い頃、あまりにも散髪が嫌だったので、自分で切れば良いんじゃねぇ?みたいに思い、何を血迷ったか自分で髪を切る事にした。
しかし、普通のハサミでは、真っ直ぐな直線にしか髪を切れないと無い知恵を絞り、ギザギザの刃のハサミなら、きっと散髪屋のように上手に切れると勘違いして、いそいそとギザギザのハサミを手に、鏡の前にやってきた。
ハサミを何度か自分の髪に入れて、ふと気がつく。
「あれ、なんか散髪屋のように、上手く行かなくない?」
それはそうである。
散髪屋になるには、最低でも美容師の国家資格が必要なほど技術がいるのだから。
その事に気がついた時にはもう手遅れで、仕事から帰ってきた両親は「あんた、その頭はどうしたの!?」と驚愕の一言。
あの時の頭は、全体的にザンバラ切りの髪の毛で、何故か前髪だけ「ちびまる子ちゃん」のももこのようなギザギザ前髪。
前髪のみギザギザのハサミを水平に入れていたみたいです。
結局、次の日には散髪屋に行かされました…。
今考えると、なんとバカな事をと思うのですが、当時は真剣でした。

カリメン2号

カリメン1号の最大の疑問。

2014年11月19日 16:43

  衆院議員の解散が決まりました。世論も気にせずにこれからカリメン1号が書く事は、本当に危険思想なのかもしれません。家族の大切な方々は、絶対に読まないでください。危ない考えかもしれませんので、ご注意を!
  カリメン1号の最大の疑問。全共闘。連合赤軍。東大閥。学生運動。全共闘の方達は、カリメン1号の実の両親たちと同じ世代か、それより上だと記憶しております。団塊の世代。カリメン1号の実の両親も団塊の世代だったとは理解しています。あの方達は、何と闘っていたのか?国なのか、国家権力なのか。それとも自分たちの親の世代の方達の考え方と闘っていたのか?全共闘は実際に見た事ないので書きませんが、連合赤軍。あの方達の目はどこに向いていたのか?世界に目を向けていたのか?実際に会った事もないのでわかりません。浅間山荘事件。よど号ハイジャック事件。浅間山荘事件は高校の頃の現国の教諭が産まれた年に起きた事件だったと拝聴しておりますので、その事件があった事は存じております。「突入せよ!あさま山荘事件」は見ていないので、細かい情報はありませんが、カリメン1号自身で調べた事を記憶力を頼りに書いて行きます。あさま山荘は長野県軽井沢町にある山荘で、当時、連合赤軍のメンバー5人が浅間山荘の管理人の妻を人質に立てこもり、警察官たちと219時間に及ぶ立てこもり事件を起こしたのが、「浅間山荘事件」です。警官2名が殉職、民間人1名が死亡し、連合赤軍メンバー5人は逮捕されました。他に「よど号ハイジャック事件」。この事件を起こしたのは共産主義者同盟赤軍派だったので、浅間山荘事件の方達とは別の考えをしていたのかも知れません。日本史は苦手でしたので、当時の内閣総理大臣は記憶しておりませんが、「われわれは明日のジョーである。」という言葉を残し、当時の運輸政務次官山村新治郎を人質の身代わりとして北朝鮮へ亡命しました。今気づいたのですが、浅間山荘事件の方があとに起こっている事件だったのかと調べているうちに気づきました。彼らの主義主張は一体なんだったのか?「世界革命」と書かれていますが、安保理反対運動や石油ショック、戦後の内閣の頼りなさなど、様々な要因が考えられますが、何故犯罪に手を染めてでも、自分たちの主義主張を通そうとしたのか?
何故そこまでの行動ができたのか?カリメン1号には知る由もありません。
  最近、京都大学に公安の警察官が不法に侵入し、京都大学生から取り押さえられるという事件が起こりました。リーマンショックの頃に新入社員だったカリメン1号は、世の中の仕組みもわからずに今日まで過ごしてきました。京都大学生たちにも主義主張というものがあるのでしょう。法学部を卒業したカリメン1号は、内心ヒヤヒヤしながら、京都大学生たちが公安の警察官を追い返しているのをテレビで見ました。大学時代、もう少し時間と体力と行動力があれば、カリメン1号も学生運動に参加していたのかもしれません。社会人になったカリメン1号は、大学時代ってよかったよなあと思いながら、京都大学生に多少肩を持ちながら、「あまり無理はするなよ。警察にけんかなんか売ったら一生を棒に振る事になるぞ。」と羨ましくも思いながら、世知辛い世の中だなとつくづく思いました。現在浪人中、はたまた現役の高校3年生の諸君。第一志望は絶対に曲げるなよ!死ぬ気で勉強すれば、結果はついてくるんだから。そんなに焦らず心に余裕を持ちましょうね。たまには勉強の事も忘れて息抜きも必要だよ。体は壊さないようにたまには運動もしましょうね。カリメン1号は受験戦争には負けたけど、そんなこんなで毎日を送っています。もうすぐセンター試験か。高校生、浪人生の頃が懐かしいな・・・。

                                 カリメン1号
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映画評論25

2014年11月18日 18:21

あぁ、また一人の名優が亡くなってしまった…。
高倉健さんの訃報を聞いて、テンションがガタ落ちのカリメン2号です。
映像を勉強していると思うことなのですが、映像とは後世に残るものなので、時代の流れを直に感じることがある。
映像の中では、生き生きと躍動していても、亡くなっていたり、お年を召されていたりと。
時の流れは仕方が無いのは分かるのですが、それでも残念でなりません。
今回はそんな高倉さんのために、映画評論を書きました。
まぁ、高倉健さんの作品では無いのですが…。
高倉健さんの映画評論が読みたい方は、映画評論14を観て下さいね。
今回も最新映画ではなく、過去の映画を評論しています。
ネタばれ等がありますので、嫌な方は見ないで下さいね。

『ぼくらの七日間戦争』
戦争映画と聞くと、多くの場合は血生臭いものであったり、戦争の悲劇を題材として制作されることが多い。しかし、この『ぼくらの七日間戦争』という作品は、戦争とタイトルに付いてはいるが、作品の中身は大人になって行く子供たちの成長の物語になっている。監督は菅原浩志(菅原比呂志)で、『That’sカンニング!史上最大の作戦?』などを手掛けた監督のデビュー作である。1988年に角川映画作品として公開され、ブルーリボン作品賞などを受賞した日本を代表する映画の一本である。
 ストーリーは「教育」という名の下に生徒を管理して、コントロールしようとする教師たち。そんな抑圧された学生生活を送っていた青葉中学1年A組の8人が、学校に反旗を翻し、ある日突然に姿を消した。慌てふためく教師と親たちをよそに、立てこもった町はずれの廃工場で自由を謳歌していた。彼らの居場所が知れると、大人達は力で連れ戻そうとするが、仲間と知恵で大人達を撃退したのであった。しかし、このことで機動隊までが出動する騒ぎなってしまう。中学生達は大人達の横暴に立ち向かい「戦争」を仕掛けるのであった。
 何度も言っていますが映画のファーストシーンは、とても重要な意味を持ち、その作品の方向性や仕上がり自体も左右する場合がある。やはりこの作品も冒頭部分が作品の雰囲気を決定づけていたように感じた。大人の支配的な演出が随所に見られ、それを端的に表しているのが、学校生活での様子やファーストカットの校長の演説などが分かりやすいだろう。演説のセリフの中には「生徒の個性と自主性」や「信頼と愛情を持って」などが聞こえるが、映像の中では規則正しく並べられた生徒や遅刻して来た生徒を、水洗い場まで引っ張っていくなど、とても対極的な描かれ方をしている。また小道具の演出も分かりやすく、鳥籠やお菓子など「子供」の象徴的は物を使用し、上手に印象付ける使用していた。そして、何よりも良かったのがライティングと音楽は秀逸だったように思う。映像で夜を作りだすのは難しいのだが、それを上手に演出しており、子供たちの心情表現を廃工場に入って来るところや、部屋での鳥籠を眺めるシーンなど「光と影」を使い表現していたのだと感じた。音楽も子供たちの心情を要所でカバーしながら、物語を盛り上げるうえで、効果的な使い方をしていたように思う。また、本編の中に出てくる役柄も印象的で、教師は悪しき大人の象徴であり、親たちは越えなければならない壁として存在していた。大人の中には理解ある者も居て、女性教諭や廃工場に住みついた浮浪者などは、子供たちの自由の象徴として、その役割を果たしていたように思う。
 作品の主軸となるテーマは、まさに「大人になる」ということではないだろうか。個性と画一との対立構造は、中学生と大人達、ひいてはモノトリアムから脱皮する子供たちと、社会というものに迎合してしまった大人達との対立構造が見て取れる。これは今現代でも見て取れる部分があり、映画に出てくる子供たちは、今で言うところの「オタク」(プロフェッショナル)である。画一的な社会に立ち向かっていく姿は、力に頼った戦争という血生臭い方法ではなく、夢や希望という花火のような輝きを武器にしたものだということ示している。それは戦車が花火を打ち上げるシーンによって表現されていた。ファーストカットで、宮沢りえ演じる中山ひとみが走る姿は、まさに学校という大人になるための場所に走っていくというもので、モノトリアムを全力で駆け抜けていく中学生の姿そのものであるように感じた。このことから、この映画には子供からから大人に変わっていく、自己実現的な意味合いがテーマに含まれているのではないだろうか。それを象徴するように、ラストシーンでは彼らの親も子供たちを認め、学生に戻った彼らのセリフの中には「狙うは国会議事堂だ!」というセリフがあるが、彼らが大人になり、この国を担って行くのだとうメッセージに思えてならない。

今回はこんな感じです。
いやはや、相変わらずヒドイ映画評論ですね。
書きたいことが、全然まとまって無いですし、内容も短いです。
本当にが出ますね。
ともあれ、今回は懐かしい映画評論になりました。
劇場で観た訳ではないですが、思い出の多い作品です。
ただ、やはり記憶していた内容と、随分と違っていたので、ある意味で新鮮に鑑賞できました。
次回は何にするか決まってませんし、カリメン1号がアップするかも知れませんし。
次回も観ていただけると、嬉しいです。

カリメン2号

後悔の足跡しか見えない…。

2014年11月16日 03:00

まだ終わってはいませんが、今年一年って大したことしてないなぁと一年を振りかえるカリメン2号です。
もう、11月も終わりに近づいているですね。
12月も楽しいこと含め、あっという間なんでしょうね。
この時期になると、感傷的になってしまうカリメン2号なのですが、よく過去の事を思い出してしまいます。
まぁ、思い出なんてものはカリメン2号には、ほとんど無いのですが…。(色々と理由はあるのですが、忘れているだけです。)
年末の大掃除に向けて、少しでも楽をしようと荷物整理をしていると、過去の思い出が手を止めてしまいます。
写真や思い出の品などを、押入れの奥底から発掘する度に、自己嫌悪に陥ってしまう。
何かに秀でてる訳でものなく、人徳がある訳でもないカリメン2号ですが、悪人って訳でもない平凡な人間だと思って生活して来ましたが、色々と思い出すと、人としてNGな人生を歩んできたのだと、改めて気が付かされる。
学生時代は悪いことはしていなかったと思いますが、いま思うと問題児でした。
当時は、間違っていないと確信を持っていましたし、今も同じことが起きれば、同じ選択をしているように思います。
しかし、その態度や行動、発言が多くの問題を起こしていたのでしょう…。
自分の思ったことや考えたことを言ってしまったり、猪突猛進のように行動したりと。
社会に出てもこの性格は治らず、それが問題の原因なのだということを実感することが多かったです。
未だに拭い切れない過去の自分が、今の自分を形作ってしまっている。
過去を掘り起こすと、後悔の足跡しか見えないんですよね…。

何やら今回は愚痴になってしまいました。
あまり良いことではないのですが…。
最近は特に過去を振り返ることが多いので、何やら感傷的になってしまったみたいです。

カリメン2号