連れ連れなるままに・・・

日々の日常の中で、ふと感じたことを気ままに書いています。 最近観た映画や読んだ小説などの感想、趣味の紹介なども書いていこうと思います。

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Posted by カリメン1号・2号・3号 on

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自分の常識、社会の非常識

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   3 comments   0 trackback

ブログの更新が順調です。
順調過ぎて、逆に怖いんですけど…。
日々、何かに追われるように生活をしているカリメン2号です。
今回は独り言なので、たいした話では無いです。(何時もたいした話はしていませんが…。そこは言わないお約束と言うことで。)

前回の弾丸ツアーの時の話です。
空港で搭乗機の案内まで時間があったので、コンビニでも行って時間を潰そうと思い立ち寄りました。
そこで、久々に目を疑う光景遭遇したのです。
空港内のコンビニで、小学校高学年くらいの子供たちが、地面に座って立ち読みしていました。
いや、もう立ち読みってレベルでは無く、寝そべって本を読んでいたんです。
あまりの態度の悪さに愕然としつつも、あたりを見回しましたが誰も気にした様子が無いのです。
コンビニ店員含め、周りの大人が誰も注意をしない。
そもそも、親が何をしているのかが不明。
このご時世なので、注意すると色々と面倒事に、巻き込まれる可能性が出てくるのは分かります。
それでも、カリメン2号が幼い頃は、何処のおじさん、もしくはおばさんに色々と注意を受けました。
時代が違うと言ってしまえば、それまでなのですが…。
しかし、注意は真摯に受け止めていたと思います。(ある程度ですが…。)
この無関心さ腹が立ち、子供たちに「立ち読みするのは良いが、立って読みなさい。」と注意したのです。(結構な勇気が必要でした…。)
買い物を済ませ、店から出る時に子供たちの方をみると、また寝そべっている!!
またも愕然!!
人の話を聞いていないのかってくら見事に…。
これは親のしつけの問題なのか、社会の無関心さが問題なのか。
はたまたカリメン2号の常識が、社会の中での非常識なのか…。
少なくても公共という場所での振舞い方は、身につけておいた方が良いと思うのですよ。
昔は良かったとは思わないが、今の子供たちってここまで話が通じないものなのか。

今回はこんな感じです。
色々と書きたいことがあったのですが、何かと忙しく…。
映画評論は連続でアップしたので、当分は…。
などと仄暗い考えが浮かんで、来ることか来ないとか。
まぁ、次回はまだ何をアップするかは、次回のお楽しみと言うことで。

カリメン2号

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映画評論22

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   0 comments   0 trackback

ゴールデンウィークが間近なのに、日々が灰色化しつつあるカリメン2号です。
カリメン1号が復活したので、ブログスピードがアップすると思っていたのですが…。
なかなか、思い通りには行かないものですね。
そんなモヤモヤを吹き飛ばすために、映画評論をアップします。
今回の評論は時間の掛かった評論なのですが、相変わらず出来が良くないです…。
ネタばれもありますので、嫌な方は観ないで下さいね。

『コーラス』
 映画史に燦然と輝く名作『ニュー・シネマ・パラダイス』。その存在感のある演技で成長した主人公のトト役を演じた、フランス出身のジャック・ペランが『コーラス』の制作指揮をとった。監督はジャック・ペランの甥にあたるクリストフ・バラティエが彼の表現したい演出を見事に形にしてみせた作品となった。初めて長編映画を監督した『コーラス』はアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、海外からも高い評価を得たのである。
 ストーリーは、音楽家として大成したモランジュが、ペピノとの再開によって彼らの恩師であるマチューの思い出を振り返ることから始まる。フランスで孤児や問題児が集められて寄宿舎の「池の底」に音楽教師のマチューが舎監としてやってくる。余りにも酷い悪戯や反抗的な態度の生徒と、規律とお仕置きによって生徒を囚人のように扱う校長のラシャンに戸惑うマチュー。そんな中で自分の経験を活かし、生徒たちに合唱を教え始めるのであった。最初はふざけていた生徒たちも、歌うことの素晴らしさや楽しさに目覚めていき、その中でも「天使の声」を持つモランジュと出会うのであった。寄宿舎一番の問題児であったが、正面から向き合ってくるマチューに心を開いていくモランジュ。マチューの些細な下心から関係が悪くなる時もあったのだか、その歌声に魅せられていくのであった。そんなある日、マチューと生徒が外出している時に、寄宿舎が火事になる。その責任を取りマチューは寄宿舎を去ることになるのだが、生徒とたちは彼に感謝の気持ちを手紙と歌に込めて送り出すのであった。
 映画のファーストカットは重要で、その作品の確信を描いている場合が多い。『コーラス』もその例に漏れず、確信的な映像表現がなされていた。輝かしいスポットライトの包まれた現在のモランジュの対比として、霧に包まれた寄宿舎の様子は、二人の主人公であるモランジュとマチューの不安な気持ちを表し、先の見えない過去の現状を上手に表現していた。また子供たちの演技も違和感がなく、明暗を表現したライティングは秀逸で、輝く未来と寄宿舎の影を見事に描き出しているように感じた。登場人物の演技も良く、何よりもマチューに人間臭さがあるところに共感が持てる。舎監であっても、一人の人間であり、モランジュの母親に下心が見え隠れするところなどは人物に深みを出している。またその事によって、コーラス部隊からモランジュを外すことになるのだが、歌うことが出来なくなったモランジュは以前のように、周りから心を閉ざしてしまう。しかし、マチューは発表会の時にモランジュが歌うように指揮を取った。歌うことを許されることで、モランジュ自身も自分のことを許し、誰かに認められる喜びを知るのであった。この発表会のシーンは、マチューとモランジュの心を通じた瞬間であり、その表情と歌には感動を禁じえない。

今回はこんな感じです。
相変わらず書きたい事がまとまって無い…。
しかも時間が掛かった割に、文章量も少ないです。
しかし作品自体は、なかなかお薦めの出来る内容であったように思います。
特にフランス映画(カリメン2号の偏見ですが…。)が好きな方には、当たり映画のように思います。
まさに、リニューアルした『ニュー・シネマ・パラダイス』と言ったところでしょうか。
すいません…。
オモシロくない事を言いました。(きっと疲れているんです。)
反省…。
次回は何にするか、特に決まってはいません。
しかし早い段階で、また映画評論をアップできれば良いなぁと思っています。
ちなみに評論のリクエストも、受け付けています。(時間はかかりますが…。)

カリメン2号

映画評論21

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

いや~、良い季節になってきました。
新緑が芽吹いてきているのですが、カリメン2号には何も芽吹いて来ない…。
まぁ、元々芽吹くようなモノは、何も無いんですけどね。
旅行するには、今の時期がベストなのでは無いかと思います。
暑すぎず、寒すぎず。
今回はそんな旅行に良い季節なって来たことで、ロードムービーを評論して行きたいと思います。
ネタばれもありますので、嫌な方は観ないで下さいね。

『パリ、テキサス』
 これぞロードムービー中のロードムービーと言っても、過言ではない映画の1本である。名作として全世界に監督の名を轟かした作品である『パリ、テキサス』。監督はドイツの生んだ巨匠のヴィム・ヴェンダースである。ドイツ出身の監督ではあるが、多くの部分でアメリカ文化の影響が強く作風に表れている。そんなアメリカ原風景の描写は他の監督の群を抜き、ロードムービーの名手として世界に知れ渡っている。『パリ、テキサス』はテキサスを放浪していた、ある男の妻子の再会と別れを描いたロードムービーで、1984年に第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞を受賞した作品である。
 ストーリーは浮浪者のような格好で、砂漠の中を歩いているトラヴィスはガソリンスタンドまで辿りつき、そこで気を失う。彼を迎えに来た弟のウォルトは4年間も行方知れずの兄に、何所にいたのか、また何所に行こうとしていたのかを問いただす。しかし、トラヴィスはしゃべらず、ウォルトの家に向かう車の中でやっと話し始めるのであった。「パリ」に行きたいとトラヴィス言う。それはフランスの首都と同じ名前を持つ、テキサス州パリスのことで、トラヴィスが目指していた目的地であった。ロサンゼルスにあるウォルトの自宅には、彼に育てられたトラヴィスの息子であるハンターがいた。7歳になった息子と再会したトラヴィスは、ウォルトの家で居候をしながら、開いてしまった息子との心の距離を埋めようとする日々が続くのであった。そんなある日、弟の妻であるアンから、毎月ヒューストンの銀行からハンター宛てに、トラヴィスの妻のジェーンが送金していることを教えてもらう。トラヴィスはヒューストにいる妻のジェーンを探しに出る決心をする。その事を息子のハンターに言うと、彼もいっしょに行くと言い、二人のジェーンを探す旅が始まった。ヒューストンでジェーンを見つけたトラヴィスとハンターであったが、トラヴィスは、すぐにジェーンを迎えに行く決心が出来なかった。テープレコーダーと息子をホテルに残し、トラヴィスはある決断をして、再びジェーンに会いに行くのであった。姿の見えないボックス中で、トラヴィスは彼女に対してしてきた事を懺悔し、ハンターをジェーンに任せて、再び独りで走り出すのであった。
 映画のファーストカットが重要な要素であることは、この作品からも十分に感じる事が出来た。何よりも広大なテキサスの砂漠の中を、一人で歩くトラヴィスの姿は、映画全体のメインであるトラヴィスの人生そのものが、大胆に描かれている。また、ここまで美しく砂漠の風景をファーストカットに持ってくるあたりが、心情表現の演出として素晴らしく感じた。人間ドラマも素晴らしく、人物像の描きた方なども良かった。最初に登場したトラヴィスの姿は、赤い野球帽とボロボロのスーツを着ていたが、ハンターの父親になろうと決心した後の姿は、帽子の似合うスーツのダンディーな父親になっていった。まさに人物の心理描写を服装で表現していたのである。そして親子の心の距離感も映像で演出しており、道路を挟んでトラヴィスとハンターが歩くシーンは、物理的な距離感がそのまま人物の距離感を示していた。色による演出もなされており、登場人物の現状によって変化し、それに伴った色合いを登場させていた。出会いや始まりの場合には赤色を画面の中に登場させ、その状況が変化していく最中では青色が登場し、緑色が映し出されている時が変わってしまった状況を表しているように思う。アングルや画面構成も秀逸で、人物の構図などのカット割りは、日本映画の巨匠である小津安二郎に通じるものがありとても美しい。ロングの映像も随所に存在し、映画であるとことを意識させるような作りになっている。特に良かったのは、トラヴィスとジェーンの再会シーンである。クライマックスである再会のシーンにも関わらず、映像として二人の出来事を描いておらず、俳優の表情とセリフのみで構成されている。つまり「描かない演出」でる。このことによって、クライマックスに深みを与える事が出来ているように思う。このセリフと表情のみで、観客に想像させる演出はまさに天才の仕事と言えるだろう。
 作品のテーマは家族の再生ではないかと思う。二つの家族はどちらも、歪な形の上で成り立っている。血のつながらない親子のウォルトとアンとハンター。そしてバラバラになっている家族のトラヴィスとジェーンとハンターの家族は互いに、家族とは何かを模索している。それを端的に表しているのが、トラヴィスが両親の写真を息子のハンターに見せるところで表現されている。最初に登場した主人公のトラヴィスが、しゃべることをしないことでトラヴィス自身の情報が少ないのも、家族というテーマに沿ったもののように感じる。まさにロード(自分の人生)とは家族とは何なのかというものを見つめ直す、美しくも切ない作品であった。

今回は割とガチ映画評論です。
とは言っても、文章はまとまって無いし、テーマ分析も微妙と…。
欠陥だらけの評論です。
まったく、自分の文才の無さにが出ます…。
特に名作と言われる映画の評論は避けていました。
カリメン2号の文才では、表現しきれない部分が多すぎるのです。
ともかくこの『パリ、テキサス』は、ロードムービーの中では本当に秀逸で、映像としても美しい作品でした。
観ていただければ分かります。
おそらく、観ていただかないと分からない部分が多いです。(カリメン2号では、説明が出来ない…。)
評論をしてる者とした、投げやり過ぎますね。
次回は、何にするかは決まってません。
楽しみにしていただける方がいれば、幸いかと思っております。
それと、やっと、やっと、カリメン1号が復活しました。(?)
ともかく、二人でこのブログを続けていきます。

カリメン2号

最近始めましたが・・・

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

 今日京都競馬場へ行ってきました。先週初めて競馬場に行ったところなんですが、かなり楽しかったので今日も行ってきた次第です。今日は皐月賞があるので行ったのですが、何を勘違いしたのか、カリメン1号は京都競馬場で皐月賞があると思い込んでいて、競馬場にいく道すがらに買った競馬新聞を見て、違う競馬場で開催されると知り、驚いたものです。単勝、複勝をそれぞれ2回ずつほど当てて、電車賃ぐらいは稼いだのですが、メインの皐月賞は予想していた馬は来ずに、コンピューターが適当に選んだ馬券が複勝をとったぐらいで、そんな簡単なものじゃないなと思いました。馬券の買い方から競馬新聞の見方まで友達に教えてもらったので、けっこうはまりそうですが、程々に遊ぼうかと思います。
 ところで、映画の感想も書きたいところなんですが、最近全く見ていないもので、また見に行くことがあったら書きたいと思います。
 今回はこんな感じで終わりたいと思います。

                                            カリメン1号

人間が追いついていない…。

Posted by カリメン1号・2号・3号 on   2 comments   0 trackback

この時期になると、夜でもそれほど寒くない日々が続きますね。
月夜の中を散歩することが多いカリメン2号です。
おそらく、カリメン2号夜行性なのだと思います。(吸血鬼か…。)
映画評論をアップしようと思っていたのですが、思いのほか評論がはかどっていない状況です。
楽しみにしている方には、申し訳ないです。
今回は独り言です。
前回紹介した小説の関係上、思ったことを書きたいと思います。

最近のメディア媒体による、人間身体の増長について疑問に思う。
インターネットによって、情報化社会が訪れた現代社会。
携帯電話からはじまり、ブログやSNS、フェイスブックにLINEなど。
様々なメディア媒体が増えてきたように思います。(正直、カリメン2号はついて行けない部分が多い…。)
誰もが表現者になりうるのですが、その個人情報の扱いについては、まだまだ未熟な所も多い。
初音ミクをはじめ、YouTubeやニコニコ動画などのメディア媒体は、表現の幅を広げてくれた部分が大いにある。
しかし、それによって情報を公開する場所も、増えたという側面がある。
犯罪者の実名や個人情報の流出やネットユーザーによる個人攻撃などなど、果たして、その行動が本当に正しいのかを考えなければならない。
犯罪を犯した者は、法律によって裁かれ、その償いを受けている。(この場合、法律の裁量は別問題。)
にも拘らずネットの中で「正義」を振り回し、個人情報を公開することによって、相手の人生に影響を与える。
それは暴力でしか無いように思う。
誰しもが情報を簡単に手に入れれる時代の中で、情報をどの様に扱っていくのかが、今後の課題と言えるのではないだろうか。

今回はこんな感じです。
なんか、硬い文章になってしまいました…。(反省
物質的に豊かになるのは良いと思っています。
しかし、その新しいメディアに対して、人間の進化が追いついていないように思います。
確かに便利な世の中になり、多くのものを得たと思いますが、失ったものも決して小さくは無いと思うのです。
未だにフェイスブックやLINEなどには、不安視のあるカリメン2号なので、古いメディアに郷愁を誘うことが多い。
ラジオにCD、手紙に本などetc…。
古いものだけが良いとは思いません。
しかし、もう少しだけでも良いので、身体の増長だけを目的にメディアを作らないでほしいと願ってしまう。
そこには、きっと新たな価値基準が必要になってくると思うのです。
次回は映画評論をアップしたいと思います。(出来ればですが…。)

カリメン2号

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