独りで何が悪い!?

2014年03月30日 05:56

前線が、どんどん北上している。
花見が楽しみと言うよりは、花より団子カリメン2号です。
最近は随分と暖かくなっているので、散歩日和で良いですね。
回数は減っているのですが、なんとか映画館にも足を運んでいます。
と言っても一緒に観てくれる友人は居なく、独りで観に行く事が当たり前なのですが…。(まぁ、ぼっちというやつです。)
別に寂しくないです。
本当に寂しくはないです。(大事なことなので二回も言いました。)
まぁ、ともかく学生の時から個人行動が多く、特に気にもせずに映画館には行っていたのです。
観る映画は雑多なので、恋愛映画であろうと、戦争映画であろうと、はたまたアニメ映画であろうと、気にせずに見にっていたのですが…。
久々に観に行った映画は、子供向けのアニメ映画でした。
いつものように、独りで映画館に入っていったのですが、後ろの席に女子高生の集団が入って来たのです。
内緒話のように声を潜めているのですが、会話がちらちらと聞こえてくる。

女子高生A:「ねぇ、この映画、独りで観に来てるとか、ウケルんだけど。」

女子高生B:「ぼっちって寂しいようね。」

ブチッ(久しぶりの血管が切れる音)
ほっとけよ、このクソ女が。
独りのどこが悪い!!
皆と一緒じゃなければ悪いのか?
映画の楽しみ方など、人それぞれだろう。
まぁ、誰に言った言葉かは微妙ですが…。
確かに時期を考えろよってことは、過去に何回もありました。
バレンタインデーに恋愛映画を観に行った時は、居たたまれない空気になった…。
劇場のほとんどがカップルの中で、独りで肩身の狭い思いをした。
まぁ、映画が始まってしまえば、気にもならないんですがね。
ともかく、個人行動が基本のカリメン2号は、ぼっちでも問題ないと思うのですよ。
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映画評論19

2014年03月25日 00:37

今月は凄い!!
こんなにブログをアップした月はないくらいに、ブログをアップしているカリメン2号です。
赤くないのに、通常の3倍なみですよ。
カリメン1号が復活してから、ブログアップも少しは楽になるかと思ったのですが…。
なかなか、思い通りにはいかないものですね。
孤軍奮闘の中で、今回は大不評の映画評論です。(結構、根に持ってる小さな奴です。)
流石に今年のベスト10ぐらいは、評論しておこうと思いまして。
ネタばれなどの不快な情報も含まれていますので、嫌な方はご遠慮ください。

『ゼロ・グラビティ』
虚構の映像を描き出す映画の中で、現代劇ではない冒険ファンタジーやSFなどは視覚表現に適している。特に宇宙を舞台とした映像作品の名作は『2001年宇宙の旅』や『アルマゲドン』など数を挙げればきりがない。今回評論したいのは『ゼロ・グラビティ』という作品である。宇宙空間を舞台にしたSF・ヒューマン・サスペンス映画で、アルフォンソ・キュアロンが監督し、脚本は息子のホナス・キュアロンと共同で制作した作品である。この『ゼロ・グラビティ』は第70回ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品に選ばれ、第86回アカデミー賞では監督賞などにも輝いた。
 ストーリーは、サンドラ・ブロックが演じる主人公のライアン・ストーンは、医療技師を務めるスペシャリストとして、スペースミッションに初めて参加した。そんな中で宇宙での船外活動を行っていたが、大量の宇宙ゴミの雨に襲われスペースシャトルは大破し、ジョージ・クルーニーが演じるマット・コワルスキーと国際宇宙ステーションにある地球帰還のための宇宙船ソユーズに向かう。事故のためライアンの宇宙服の酸素がさらに減っていく中で、マットは家族ついて話をするが、ライアンは娘を4歳の時に事故で亡くなったことを話した。国際宇宙ステーションにつくも地球帰還の宇宙船は使用できず、絶望にくれるライアンは、自らの命を終えようとする。絶望の中でマットの幻影に励まされ、機転を利かせ、中国の宇宙ステーション天宮まで辿りつく。地球帰還用の宇宙船である神舟に乗り込み、地球に向けて落下していくのであった。無事に地球に到着したライアンは地球の重力を感じながら立ち上がるのであった。
 ただ単に宇宙を題材にしたSFとして観に行き、良い意味で裏切りを受ける作品であった。濃厚なヒューマンドラマを描いており、そのまま舞台を宇宙にしたような印象を受ける。何より素晴らしいのが、映像のとしての重力の表現の仕方が秀逸だと言えるだろう。浮遊感は言うに及ばないが、映像の視点がライアンの体験と同じになる表現などは、作品全体のテーマである、自分の立ち位置を見つめるということを表現している。ストーリーも適度な緊張感(緊張の連続)とそこで、思い悩むライアンの姿を見ていて飽きない。ライアンのバックボーンである娘の死を、安易に映像として表現していなことに、彼女自身の苦悩を浮き彫りにしている点も、好感が持てたところである。映画で重要なファーストカットも現状のライアンの内面を意識しているのが分かる。広大な宇宙だけではなく、船内という密閉空間が心理描写を無事に描いていたように思える。ラストカットである地球の重力に抗うように立つライアンの姿は、生きること想いを背負って自らの足で立つことであるように感じられた。

今回は短いですが、こんな感じです。
あまりまとまった文章でなくて、すいません…。
評論を書く力は、あまり無いので。
ただ感想としては、久しぶりの当たり映画だったように思います。
まぁ、あまり期待して観に行って無かったので、良い意味で裏切られた感が強かったんだと思います。
本当に下手なSFを観るよりは、よほど良かったですし、SF映画史に残る1本ではないかと思います。
次回のアップは決まっていませんが、新企画を始動させようかなと考えております。
題して「つぶやき映画評論」という企画です。
まぁ、映画評論と変わらないのですが、しっかりとした評論ではなく、3行ぐらいのつぶやきのような映画評論です。
始動(?)は近日に。

カリメン2号

生みの苦しみを味わう。

2014年03月20日 05:06

春の訪れを感じる時期になって来たのですが、未だに冬眠状態カリメン2号です。
何かと時間はあるのですが、元気が無い日々が続いています。

映画のとこではないのですが、最近のテレビドラマはコミック原作のものが多い。
悪くは無いのですが、原作のコミックを愛読している人にとっては、手放しで喜べるものではない。
映画に限った事では無いのですが、映像として作りやすく、原作コミックの売り上げにも貢献している現状では、この原作付きというのは厄介なものである。
物語を創作する上で、他の作品からインスピレーションを受けたり、敬愛する作品にオマージュを捧げるのは納得できる。
しかし、原作のコミックのままテレビドラマに移植するのは、やはり疑問が残る部分が多い。
原作コミックを上手に消化し、より良いものになっているのなら良いのだが、往々にして劣化している場合が多く、心血注いで作り上げたであろう原作が、そのような姿を見せれるのは凄く苛立つ。
劣化の要因と言えるのは、ストーリーがまる写しであったり、映像の演出や配役のミスマッチなどが上げられるだろう。
近年で当たったテレビドラマで「家政婦のミタ」や「リーガル・ハイ」などは、どちらもテレビドラマオリジナルで制作されている。
まぁ、当たったので小説化はされていたり、中にはコミック化された物もあるが…。
圧倒的にテレビドラマの原作付きが多い。
制作期間や予算の関係上、オリジナルと言うのはなかなか難しい。
それでもやはり、ドラマの制作者も血を流しながら、物語を創作していって欲しい願ってしまう。
映像ファンとしては。

今回は早い段階でのブログアップです。
しかし、残念なことに独り言でした。
次回は評論アップを必ずアップいたしますので、楽しみにしていて下さい。
作品は割と最近のものです。

カリメン2号

青春の輝き

2014年03月17日 02:02

春の陽気とは裏腹に、何かと調子の悪いカリメン2号です。
この時期は特に眠い…。
とにかく眠い!!
一応ですが、ちゃんと眠っているはずなんですが…。
それは兎も角として、今回のブログ記事は小説の紹介をしたいと考えています。
とは言っても推理小説やライトノベルでは無く、青春小説を紹介したいと思っています。
まぁ、青春なんて甘酸っぱいモノを、経験したことのないカリメン2号が紹介するというのも、おかしな話なのですが…。
それはそうとして、今回もネタバレなどの情報も含みますので、その点はご了承ください。
越谷オサムという作家の作品である『階段途中のビック・ノイズ』という青春小説です。

ストーリーは、部員が3人しかいない部活で、1人だけギターの弾ける部員である神山啓人は、ひっそりとギターを弾く毎日を過ごしていました。そんなある日、先輩が起こした事件により廃部寸前にまで追いつめられる軽音部。彼自身も軽音部の存続を諦めていた中で、軽音部の幽霊部員であった九十九伸太郎が再び現れるのであった。九十九の強引さに引っ張られながら、校長に直談判した結果、とある条件付で部の存続を認めさせることに成功するのであった。その条件というのは「半年以内に何らかの成果をあげる」ということであった。神山と九十九は文化祭でライブを成功させることを目標に活動を再開するのだが、難航する部員集めや神山の淡い恋、そして何かと対立する教師との葛藤という試練を乗り越え、やっとの思いで文化祭に扱ぎつけるのだが…。

まぁ、王道と言ってしまえば王道の青春ストーリーなのですが、文章としてのテンポも良く、読んでいてドンドンと引き込まれていく作品だったと思います。
作家は越谷オサムという作家で、主に青春小説を多く手掛けているようで、近年では『陽だまりの彼女』という作品が映画化されました。
映画作品の総評は控えますが、『陽だまり彼女』などの作品を含め、多くの作品で若者を中心とした葛藤や心の機微を、上手に書いているものが多いように感じました。
青春という言葉が最も似合わないカリメン2号ですが、それでも青春の甘酸っぱい雰囲気を堪能することが出来ような気がします。
特に学生時代に軽音部などに在籍していた人にとっては、お勧めの一冊だと思います。

今回のブログ記事は、こんな感じです。
青春小説を多くは読んでいないカリメン2号にとっては、なかなか読みやすい作品だったと思います。
『陽だまり彼女』の映画化がされたのですが、自分としては『階段途中のビック・ノイズ』の映画化を観てみたいと思ってしまいましたね。
次回のブログ記事の内容は決まっていませんが、出来れば映画評論をアップしたいなと思っております。
友人からは不評ですが…。
一応ですが、映画評論のリクエストも募集していますので、コメントなどを頂けたら嬉しいです。

カリメン2号

意味を付けるということ。

2014年03月11日 18:31

時が経つのは一定にもかかわらず、記憶の中では過去になりつつある。
毎年の事であるのに、この日は色々な事を思いだすカリメン2号です。
今回のブログは、半分は愚痴みたいなもので、最近感じたことここで書きたいと思う。
嫌な方は見ないで頂けると、助かります。

最近、調子が悪く色々な事が、頭の中でグルグルと回っている。
大切なものを失ってから、自分に対して言い訳ばかりをしている。
きっと、その大切なものを言い訳にして、考えないようにしてきたのだと思う。
考えても答えが出ない事、事実はそれ以上でも以下でもない事に、意味を付けようと必死になっているのだ。
一生かかっても出ない答えを、探し続けることは愚かなことなのか?
割り切れれば、どれほど楽になるのだろうかと考える。
事象に意味を付けることは、きっと個人的なもので、他人と共有するのは難しい。
それでも共通項を列挙して、理解しようと試みる。
だがしかし、おそらく個人の意味づけは、意味づけした個人にしか意義を持たない。
他人から見れば、それは事象の一つにしか過ぎない。

東日本大震災から3年が過ぎ、多くの想いが交錯する3年だったと思う。
大切な人を亡くしそれでも前を向く人、絶望の淵を歩き続ける人、誰かの力になりたいと立ち上がる人、不幸になる金に群がるハイエナのような人。
それぞれの3年が過ぎたが、この大震災という事象にも個人個人に意味づけられた。
カリメン2号が思うことは「震災はまた起こる。」と言うことだ。
災害を防ぐ「防災」という言葉は無理だろう。
どんなことでも、自然災害(人災を除く)は防ぎようが無い。
起こってしまうことを前提とした「減災」が重要な意味をなすように思う。
これも意味づけの一つだろう。
個人が災害と、どう向き合うのか。
それは災害を経験した人と、間接にしか接していない人の間で大きな隔たりがある。


今回はこんな感じです。
震災の事に関して、気分を害された方がいましたら謝罪いたします。

カリメン2号