走る棺桶…。

2013年04月13日 23:08

日差しが暖かく、絶好のお出かけ日和な日々。
日がな一日、のんびりと日向ぼっこをしたいと思うカリメン2号です。
先日、車を購入した友人の誘いで、ドライブに行ってきました。
方向音痴カリメン2号のナビのお陰で、同じところを3回もぐるぐると回ってしまった…。
いや~、友人よ申し訳ない。
家族以外とのドライブは、数えるほどしかない。
しかし、初めてのドライブには戦慄をおぼえる記憶しかない。
従兄との記念すべきドライブだったが…。
当初はのんびりとした楽しいもので、窓を開けて風景を楽しんでいたのだ。
しかし、何を見せたかったのか、下りの坂道で時速〇〇キロを出し、その先のカーブでは片方の車輪が浮く事態に。
なによりも戦慄を覚えたのが、「いや~、対向車が来ていたら死んでいたね~。」と笑いながら話す、従兄のその感覚。
あの時ほど、自動車が人の命を奪うものなのだというこを感じた時は無かった…。
まさに、走る棺桶。
みなさんは交通ルールを守って、楽しいドライブをしましょう。

カリメン2号
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対岸の火事と無関心という殺意

2013年04月08日 23:07

時間の流れは一定なのに、記憶と言うものは時に残酷なのもだと感じてしまうカリメン2号です。
今回は独り言なのですが、特に東日本大震災について書きたいと思います。
嫌な方は、見ないで頂けると助かります。
反論や意見もコメントに書き込んでいただければ、自分なりに応えていきたいと思います。

先日、震災をテーマにしたドラマを観ました。
そこで感じたのは、「対岸の火事」と「無関心」と言うことでした。
誰もが絆だの復興だのと言っているのに、瓦礫受け入れ反対だの、放射能を持ち込むなと言う人がいる。
もういい加減に自立していくべきだという風潮のシーンがあった。
そういう意図で作られたシーンだと分かっていても、怒りを通り越して憎しみすら湧いてきた。
きっと、絆だの復興だのと、耳障りの良い言葉に踊らされているのだ。
憐れみや同情は、度が過ぎると相手を蔑む行為になる。
だからカリメン2号は好きではない。
しかし、あの現状を見ると言葉に詰まる思いだ。
ドラマでは「私たちも、負担の掛かる頼り方はしたくないが、頼らざる負えない」と言うようなセリフがあった。
その通りだと感じた。
まるで瓦礫を、汚物のようにいう人もいるが、その「瓦礫」には人の記憶や思い出、悲しみが詰まっていることを忘れないでは欲しい。
震災をドラマのようにワンシーンのように、可哀想だねという言葉で片付けないでほしい。
彼らはドラマの一部では無く、そこに生きている人なのだ。
今も必死に生きている。
おそらく、被災地を実際に見たことのない人には、実感がわかないのだと思うが…。
自分はそのドラマで涙が止まらなかった。
なぜ泣いていたのか分からないほど、色々な想いが込み上げて来たのだと思う。
それは憐れみや同情だけではなく、強い怒りやそこに息づく人の輝きに感動し、自分の愚かさを強く感じるものであった。
多くの人が震災2年を過ぎて、あの震災が対岸の火事になりつつある。
きっと無関心という見えない悪意が、本当に大切なものを殺していくのだろう。

カリメン2号