躾と虐待の狭間で

2016年06月07日 13:53

早めのブログ更新を心掛けていたのですが、先月の記事も映画評論だけになってしまいました…。
忙しかった訳ではないですが、親族関係の揉め事に関わると、本当に精神力体力を削られていくことを実感するカリメン2号です。
梅雨が理由なのか揉め事が理由なのか分かりませんが、ますます精神的に安定していない日々が続いています。
なので今回のブログ記事は、愚痴を含めた独り言になると思いますので、嫌な方は見ないでいただけると助かります。

最近のテレビニュースで、数日にわたって報道されていた行方不明の男の子が、無事に保護されたというものがありました。
この時期の北海道の夜は、涼しいを通り越して寒いことが多いです。
そのような環境の中で、一週間も行方が分からなかったということを考えると、最悪の場合も考えられました。
しかも低学年の子供では野宿や山に対する知識も少ないことから、正直に言いますと「もう助からないだろう。」とカリメン2号は思っていました。
そんな中で、行方不明だった男の子が無事に保護されたというニュースには、本当に驚かされることになりました。
今回の事件に関しては、今現在も色々とハッキリと解明されてない部分は多いですが、やはり幸運だったのが寒さを凌げる場所水分補給が出来る飲料水が在ったことが、男の子の命を繋いだことは言うまでもありませんね。
一般的に人間は水を飲まなければ、3日(72時間)で生命を維持できる限界となると考えられています。
これは水分補給が出来ずに脱水症状なり、それによって死に至ると考えられています。
実際は天候などの環境によって左右されるようですが、災害時なっどは72時間を目安に生存率が急激に落ちると言われています。
そして、これも環境や体格によって差異は出てくるのですが、水が飲める環境だとしても食物を食べないと、大方の場合は3週間 で死亡すると考えられています。
なので今回の事件に関しては、本当に幸運が重なった奇跡だったと言えるでしょう。
今回のような事件で問題となってくるのが、親が子供に対するという行為とはということだと思います。
置き去りという行為そのものに対して警察は、「心理的虐待の疑い」があるとして両親を児童相談所に通告したそうです。
正直なところ、これだけ大事になってしまったので両親の心労を考えると「もう、そっとしといてやれよ。」と思ってしまうカリメン2号ですが。
確かに北海道で生活している者としては、山林に置き去りという行為自体は、躾としては慎重に判断しなければならない事だと感じました。
ご存じの通り北海道は雄大な自然が多く残っている環境でもあり、たかが山林とは言うものの一歩間違えると、普通の大人ですら遭難してしまう可能性が高いからです。
今の時期は日中が暖かくなってきたこともあり、山菜取りに行った人が遭難してしまうという事故が急増します。
カリメン2号も大都会で育った訳ではないので、幼かったころには山菜取りに行ったは良いものの、遭難しかけ親に怒られた記憶もあります。
話を戻しますが、それでは躾と虐待の境界線とは何なのだろうと考えてしまいますね。
特にカリメン2号が昔の人間という訳ではないですが、祖母と暮らしていたことがあるので躾に関しては、今では考えられないような強烈なものもあったように思います。
実際、過去にはカリメン2号も、悪い事をして夜に家から叩き出された事があり、泣きながら反省した記憶があります。(今考えると、恐らく運が良かっただけなのでしょうね。)
これも一種の虐待に当たるのでしょうか?
ただ当時のカリメン2号は、自分が悪い事をしたのだから怒られる事は当然だと受け入れていました。
なので置き去りという行為の限度はあるにせよ、躾という行為においては親のさじ加減ではと思ってしまいます。
その加減については、親が慎重に吟味しなければ成りませんが。
カリメン2号の考えとして明言しておきますが、虐待を肯定するつもりは、全くありませんが、今回の事件に関しては過剰な反応のような気がしてならないのです。
今回の事件の重要な点は、これが親子の信頼関係の上に成り立っているということのではないでしょうか。
子供は親を選ぶことは出来ませんが、親が子供のためにしなければならない躾に関しては、他人が口を出すことでは無いような気がしました。

今回はブログ記事は、こんな感じです。
相も変わらず、内容の無い独り言の記事ですね…。
本当に申し訳ないです。
次回のブログ記事は決まってませんが、今月も何とかして映画評論の記事はアップしたいと思ています。
一応ですが映画評論のリクエストも受け付けてはいます。(すぐに映画評論を書けるかは微妙ですが…)
近いうちに、映画についての記事をアップ出来たら良いなと思っていますので、気長に待っていただけると助かります。

カリメン2号
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映画評論37

2016年05月26日 01:00

5月も終わりに近づき初夏の香りが漂ってくる毎日ですが、相変わらずテンションは低空飛行のままのカリメン2号です。
やっとの思いで復活したのですが、またしてもブログ更新が遅くなってしまいました。
今月はゴールデンウィークなどもあり、何かと話題には困らないはずなのですが、特に忙しかったという訳でも無いのに、色々としなければならないことが重なり、思いのほか元気は無いですね。
何よりも問題なのが、映画を観る元気が出ないということが、今の自分にとっての課題でしょうか…。
それは兎も角として、何としても月に一つぐらいは映画評論の記事をアップしようと思っていますので、今回も間に合うように何とか頑張りました…。
毎度のことながら評論の出来は良くないですし、ネタバレなのどもありますので、嫌な方は見ないでいただけると助かります。

『キサラギ』
 近年のムーブメントの一つとして、「アイドル」ということが注目を集めている。社会現象にまでなったAKB48のアイドルブームやアニメの『ラブライブ』、NHK朝の連続ドラマでは『あまちゃん』などが有名なところだろうか。今回の映画評論はアイドルが作品の中心的な役割を果たしている作品である。『キサラギ』という映画作品は原案・脚本を担当しているのが『ALWAYS 三丁目の夕日』という作品で、日本アカデミー賞を受賞した古沢良太である。その緻密で巧妙なストーリラインの脚本によって、2007年度の第50回ブルーリボン賞や第31回日本アカデミー賞の優秀作品賞を、この作品によって獲得した。
 ストーリーは、とあるビルの屋上にあるペントハウスで、マイナーなアイドルの如月ミキのファンサイトで知り合った五人のメンバーが集まった。サイト運営者の家元、オダ・ユージ、スネーク、いちご娘、安男という面子のメンバーは一年前に、焼身自殺してしまった如月ミキを悼むために集まったのであった。和やかなムードの追悼会であったのだが、オダ・ユージが言った「彼女は自殺ではなく、誰かに殺されたのだ。」という言葉で、追悼会の状況は一変する。ミキの自殺を不審に感じたオダ・ユージは独自に事件の調査をしており、そこで彼女がストーカー被害にあっていたと主張しだすのであった。だがしかし、家元がその事実を完全否定する。何故なら実は家元は警察関係者であり、彼自身もミキの自殺の件を調べていたのだ。そんな中、急に帰ろうとするいちご娘だったのだが、実は彼がストーカー行為をしていた張本人であり、部屋に侵入していた事が明るみになるのであった。新たな事実が判明するも、いちご娘には確固たるアリバイがあり、殺人を犯した犯人では無かった。いちご娘の新たな証言により、スネークがミキの知り合いで、とても親しい人物であることが明らかになる。そんなスネークからも新たな事実をメンバーは聞かされることになる。それはミキには結婚を約束した幼馴染がいるという事と、その事を知っていたオダ・ユージの正体が、実はミキの元マネージャーであることが判明するのであった。そんな目まぐるしく変化する状況の中、腐ったアップルパイを食べてトイレに行っていた安男が戻ってくる。そこで、またしても衝撃の事実が判明したのだ。それはミキの婚約を誓った幼馴染が安男である事、そしてミキがヘアヌード写真集を出そうとしていた事である。その理由が幼い頃に別れた父親を捜すためだったのだ。その話を聞いていたいちご娘は、自分がミキの父親であることを明らかにする。メンバーたちによって明かされる、事件の真相に繋がる色々な事実が、バラバラだった彼らを繋いでいく。そして、遂には如月ミキの自殺の真実に辿り着くのであった。
 映画において重要なシーンの一つが、導入部分であるファーストカットであることは、再三に亘って書いてきたが、『キサラギ』という映画に置いても、その事は変わらない。特に映画の根幹を成すテーマとして「自分を見つめ直す」であるように感じる。それはアイドルという偶像を通し、自分を見つめ直すための出来事が物語として描かれている。特にファーストカットでのシーンは、それを端的に表していたように思う。真っ暗な暗闇の中から、エレベーターで浮かび上がってくる家元役の小栗旬の姿は、暗闇で周りが見えていない自分自身のキャラクターそのものであり、テラスにある一室は、まさに殻に閉じこもる自分の心そのものを表現していた。それは物語の中心となるメンバーの登場シーンや服装からも明らかで、役柄の振る舞いや言動に至るまで、全員が自分自身に何らかの想いを抱えている人物として表現されている。
 映画作品として目立った部分と言えば、やはり豪華な俳優陣による秀逸な演技と、一室という限られた空間でのカメラワークである。一つの部屋の中で映画作品が進行していくので、激しい動きの演技は少ないためか映像として緩急か付けにくい。しかしながら、それを補うような緊迫した空気の演技と、映像の中に複数の人物を入れることによって、一室という空間の圧迫感を演出していたように思う。またライティングによる光の演出が、登場人物たちの心情を表現しているのが目立っていたようにも感じた。追悼会で集まった部屋の一室が、登場人物たちの心情そのものとして描かれているのは、そのライティングからも読み取ることが出来る。和やかな追悼会を一変させたオダ・ユージの発言と共に、窓から差し込んでいた光は無くなり、外は雨となることで室内は暗い電球のみになる。まさに彼らの心に暗い影を落としこんだような演出であった。
 作品のテーマとして自分を見つめ直すということが、ストーリー構成においても表現されていたように思う。アイドルの如月ミキがラストシーンまで、彼女の顔を映し出されないことは、アイドルとしての偶像そのものを表している。その偶像は、登場人物たちを映し出す鏡のような役目を果たしていたのだ。作品を通して顔を見せないアイドルという存在が、ラストシーンでその素顔を見せる演出は、まさに彼ら自身が自分を見つめ直すことに成功した証なのだろう。ただ作品テーマとしては仕方ないのだと思うのだが、最後まで如月ミキというアイドルの素顔を映し出さない方が、作品全体としては良かったのではないかと思う。素顔をさらけ出すことによって、ラストシーンがコメディタッチになってしまった事が、シリアスで緻密な構成の映画作品の良い印象を、軽くしてしまっていたように感じられてしまった。如月ミキの素顔を映像として映し出さなくても、暗い部屋の中でプラネタリウムを観るシーンよって、暗闇の中でなら光り輝く星を見つけることが出来るのだということは、観客に伝わっていたように思う。

今回の評論記事は、こんな感じです。
本当に出来が悪い映画評論ですね…。
書きたいと思っていたことの半分も書ききれていないのが現状です。
とは言うものの、映画作品としては面白く、何よりも脚本ストーリー構成が秀逸な作品だったと思います。
次回のブログ記事は決まっていませんが、早めに2015年度の映画ベスト3を発表したいと思っています。
ただ、今年は本当に映画が見れていないので、総評を書けるまでは記事としてアップしないつもりです。
楽しみに待っていただけている方がいるのであれば、本当に申し訳ないです。

カリメン2号

映画を観る目的

2016年04月30日 16:44

季節も気持ちの良い時期になって来たというのに、相変わらず低空飛行なままのテンションで過ごしているカリメン2号です。
ここのところ全くと言って良いほど、映画館に足を運び映画を観ることもなく、イベント事にも参加しなくなってしまいました。
何だか自分がドンドンと擦り切れていくような感覚に、恐怖を覚える日々が続いています。
それでも映画というメディアから離れなれないというのは、不幸なのか幸せなのか分からない状況ですね。
心理的に安定していない事が理由なのか、映像的な感覚を維持するたに、最近ではアニメーション映画を観ることが増えたような気がします。
映画としての品質という意味ではなく、単純に映画に対して深く思考をしなくて済む作品が多い、という事が大きな理由だと考えられます。
正直に言いますと、今の状態では映像に対して思考停止気味なので、ただ単に楽しめるアニメ作品の映画の方が観やすいということですね。
映像を勉強し、映画評論を書いてる者としては、かなりのダメな発言だとは思いますが…。
とは言うもののカリメン2号は、昔からアニメ映画も大好きで、子供の頃には「ゲゲゲの鬼太郎」や「ドラえもん」、「ドラゴンボール」などなの、東映アニメ映画には本当にお世話になりました。(まぁ、カリメン2号は昔からオタク気質でしたから)
興行を第一に考えるのであれば、経済的な資産が乏しい子供をターゲットとした映画は、今現代とは違い、昔の方が厳しかったのではないかと考えられます。
それでも何とかするために、夏休みなどのアニメ映画の前売り券には、子供たちを呼び込むための前売り特典が付く場合が多かったのだと思います。
前売り特典という形は今でも変わりませんが、カリメン2号が子供だった頃のアニメ映画にも、前売り券を買うと色々な特典が付いてきました。
そのメインとなるのは、やはり子供を対象としたちょっとした玩具が多かったように思います。
しかしながら前回の映画鑑賞で驚いたことは、最近のアニメ映画では映画を鑑賞するだけで特典が貰え、しかも週替わりごとに違う特典が付くことが多いようなのです。
何も知らなかったカリメン2号にとっては、これはこれで嬉しかったのですが、映画ファンとしては果たして、これは良いことなのだろうかと疑問に思わざるおえませんでした。
確かに映画の観客動員数は確実に増え、映画興行としてはプラスの側面もあるように思いますし、どの様な形であれ映画観賞するだけで、お土産のように特典が付くことは、観客にとっては嬉しいことだと思います。
だがしかし、それでも映像作品である映画の中身ではなく、特典によって興行を成功させるというのは、何やら商売っ気臭さを強く感じてしまいます。(まぁ、映画の興行は経済活動ですから、仕方が無いと思うのですが…。)
特に映画を観ることで貰える特典の中身が、週替わりに変わるというところが、カリメン2号にとっては、かなり引っ掛かりを感じますね。
日本が世界に誇るサブカルチャーであるアニメは、それほどまでに作品自体で観客を呼び込むことが出来なくなっているのだろうかと不安に思います。
確かに少子化によって子供の数も減り、映画そのものがデットメディアに成りつつある今日ではありますが、それでも映画である以上は、アニメ映画の中身で勝負していただきと思ってしまいます。
映画鑑賞の特典が悪いという訳ではないのですが、特典在りきのアニメ映画にはなってほしくないと、心より祈るばかりです。
映画のファンとしては、劇場に足を運ぶ観客が増えるのは良いことだと思いますが、特典が欲しいがために劇場に来る観客は、果たして作品としての映画を、何処まで真剣に観てくれているのだろうかが非常に気になる部分です。
特典を付けることによって、本来の目的である映画を鑑賞するということから、特典を貰うという目的に変わってきてしまっているのではないでしょうか。
映画好きのカリメン2号としては、映画として力を入れるべきところが、違うのではないかと思ってしまいました。

今回はブログ記事は、こんな感じです。
久しぶりに映画館に行って映画を観てきたのですが、劇場も随分と様変わりをしていて、かなり驚かされることが多かったです。
今まで何度も行ったことのある劇場でしたので、チケット購入の方法は係員との対面式で販売されていたのですが、今現在では電車などの券売機のように無人のコンソールに変わっていたのです。
自分が観たい映画の作品や時間、劇場の座席に料金割引までもがデジタル化され、自分で選択して発券できるようになっていたのです。
上映時間のギリギリに来てしまっても、列に並ばずにチケットを購入できたり、座席の場所を時間を掛けて選べるなどの利点もありますが、昔ながらの古めかしい映画館が好きなカリメン2号にとっては、何とも味気ないような気がしてしまいましたね。
映画館も日々進歩しているようで、かなり驚かされる出来事でした。
また、延び延びになっている2015年度の映画ベスト3の記事と、映画評論の記事につきましては、まだ正直に言いますと余裕が無いので、記事のアップ自体はまだ先だと思います。
楽しみにしている方がいるのであれば、本当に申し訳ないです…。

カリメン2号

均一化された世界へ

2016年04月25日 23:46

気が付いたら、もう4月になってしまい、季節の内容を含む記事を書きそびれてしまったカリメン2号です。
2月や3月もイベント事が多く、本来ならばブログ記事を書くネタが多かったはずなのですが…。
時間の流れが早いと感じるのは何時ものことで、2月の節分時期には豆と恵方巻が商品棚に鎮座していました。
しかしながら、節分が一日でも過ぎてしまうと商品棚には、バレンタイン用のチョコレートに展示が変更されていました。
節分の日には豆ではなく、ミックスナッツを食べながら独りで過ごしていたカリメン2号にとっては、バレンタインほど関係のないイベントはないですけどね。(涙)
まぁ、それは置いといて昔かあった行事ではあるのですが、ここまで大きなイベント事になってしまっているとは…。

少し前のニュースに「喫煙のシーンが含まれる映画やドラマは、若者を喫煙に誘導する効果が高い」として、「成人向け」に指定するよう、世界保健機関(WHO)が各国に規制するように呼び掛けたというものが流れました。
映像関係に関わったことのあるカリメン2号にとって、このニュースは大きな問題を孕んでいるように感じてしまいました。
確かに多くの映画やドラマ、またはアニメーションの中では、役者がタバコを吸うというシーンは多く見られます。
その事で、若者がタバコを吸うという行為を真似て、喫煙者になる場合も確かにあるでしょう。(美味そうに吸うシーンがあると、吸いたくなってしまうんですよね。元・喫煙者より)
しかしながら、映画やドラマなどの芸術という側面を持つメディアに対して、新たに規制を設けるということは、拡大解釈にすれば、いずれかは「表現の自由」という問題に繋がっていくのではないかと考えてしまいます。
特に最近の傾向としては、重大な犯罪を犯した未成年が、嗜好していたアニメーション作品が取りざたされていることが多いです。
過激な表現を含んでいるアニメに対しての風当たりは強く、「こんな悪影響なモノを見ていたから、犯罪を犯したんだ」という風潮があるのは確かなようです。
確かにマスメディアというツールには、多大な影響力があるとは思います。
しかし、だからと言って映像によって個人の意識に、何処までの影響を及ぼすことが出来るのかという、科学的な実証の根拠自体は、現時点では存在しません。
特に娯楽性の強い映画やゲーム、アニメなどの作品は、多感な時期の未成年でも入手は容易です。
そのために業界側も性表現や暴力表現については「R‐15」や「R‐18」などの規制を自主的に掛けています。
ある程度は仕方が無いことのだと思いますが、現在の規制の在り方にも考えなければならないことが多いです。
近年では、この規制の風潮がメインカルチャーである芸術にも波及しており、最も分かり易いものとしては江戸時代に流行した春画でしょうか。
春画とは、江戸時代に流行した浮世絵師たちによって描かれた、性や愛をテーマにした版画のことであり、現在では世界的なコレクターもいます。
芸術品としての評価は高いとされる一方で、その性描写はあまりにも大胆で直接的なものが含まれる場合が多いです。
まぁ、簡単に言ってしまえば江戸時代の風土を写したエロ本ですよ。
しかしながら、この春画の展覧会が東京で行われた時に「日本で生まれた春画のすばらしさを多くの人に伝えたい。」とは言うものの、性的な表現を多分に含むことから18歳未満は入場を禁止という措置が取られました。
国が認めた芸術作品の展示会が、18歳未満は入場禁止という何とも中途半端な配慮は、何なのだろうと思ってしまいます。
これではカリメン2号が思うに、場末のポルノ映画を上映している劇場と、やっていることは変わらないのではないかと感じますね。
誤解が無いように追記しておきますが、カリメン2号は場末のポルノ映画がダメだとは、全く思ってませんので。
映画の歴史上ではピンク映画日活ロマンポルノなどから、多くの名監督が誕生していますから。
まぁ、未成年に自己責任を問うのは酷な話ですので、せめても親の承諾で入場させても良かったのではと思います。
芸術である春画が規制の対象となるのなら、サブカルチャーであるマンガやゲームも、これから多くの規制が成されていくのではないかと危惧してしまいますね。
そもそもサブカルチャーとは、長い歴史の中で培われてきた文学や絵画、音楽になどのようなメインカルチャーではなく、アンダーグランドな世界で育まれた文化であるということです。
それを権力を有する側が、一方的な価値基準によって規制や取り締まりを強化すること自体に、強い不快感不安を感じざる負えないですね。
映画というメディアでも、この様な問題は存在しており、2013年に亡くなった映画監督の大島渚監督の言葉を借りるなら、「わいせつ、なぜ悪い。」と言ったところでしょうか。
近年になりインターネットなどのメディアの発展に伴い、特に表現への規制が厳しくなって来ているように感じます。
表現の自由という意味において、国家などの権力を有する側が、個人の嗜好にまでも介入する日が来るのではないかと、カリメン2号は危惧しているのです。
それは国によって均一化された人々による、均一化された社会形成のように感じてしまいました。

毎回のことながら前振りが長くなってしまい、本当に申し訳ないです…。
それでは本題の今回のブログ内容は、そんな均一化された近未来の世界を舞台にしたアニメーション作品である『PSYCHO-PASS サイコパス』です。
制作は『攻殻機動隊』などで有名なProduction I.Gによって作られ、2012年10月にノイタミナ枠で放送されていた作品です。
近未来SFのアニメーション作品としては、有名な『攻殻機動隊』との差別化を図るためなのか、電脳やサイボーグといった類の描写は殆ど無いです。
その代わり管理された社会に焦点を当てた世界観は、機械によって人間の精神を数値化し、それによって管理される世界という近未来SFの世界観になっていました。
面白く感じたのは、そんなシステム化された世界観にもかかわらず、登場するキャラクターたちは人間味の溢れるキャラクターが多いことです。
それが犯罪者を追い詰める重要な要素になっていること、そして今現代の問題として法律(ルール)正義の在り方についてが、とても深く掘り下げられていたように思います。
アニメ作品の雰囲気としては、SF映画の『ブレードランナー』と『‹harmony/›』(ハーモニー)、そして『踊る大捜査線』を掛け合わせた様なハードボイルドな刑事ものなっていました。

ストーリーは、新任の監視官として公安局に配属になった主人公の常守朱(つねもり あかね)は、そこで執行官の狡噛慎也(こうがみ しんや)と出会うのであった。執行官とは犯罪者の思考パターンを理解できるがゆえに、自分自身も潜在犯として犯罪係数が高い者たちで、公安の猟犬として共に犯罪者を捕まえるのが仕事であった。そんな中、社会全体の監視システムであるシビュラの目を掻い潜り、凄惨な事件の裏で犯罪を操っている人物がいた。彼の名は填島聖護(まきしま しょうご)と言い、3年前に監視官であった狡噛が、執行官になってしまう「標本事件」に関わっていた。様々な事件を追う中で常守の前に、遂に姿を現した填島であったが、犯罪者の犯罪係数を見極めるドミネーターが彼に反応せず、常守の友人が目の前で殺されてしまうのであった。逮捕されることの無かった填島は、周囲の犯罪係数をコピーすることで、監視システムに感知されないヘルメットを配り、街の暴動を起こさせるのであった。その真の目的はシビュラシステムの、牽いては監視システムに依存した社会自体の崩壊を目論んでいたのだが、真意に気が付いた狡噛と常守によって遂に逮捕される。填島の身柄を移動する最中、彼はシビュラシステムの正体を公安局局長の禾生壌宗(かせい じょうしゅう)から聞かされ、シビュラの一員になるよう促されるも、填島は禾生を殺害し逃亡するのであった。填島の逃亡を聞かされた狡噛は、執行官としての限界を感じ、今の法律(シビュラシステム)では填島を裁けないのなら、法律(シビュラシステム)では人は守れないと思い、違う道を選ぶのであった。狡噛は臨床心理学の元教授である雑賀譲二(さいが じょうじ)の協力により、次に填島が狙うのは食料自給の99%を担う小麦を壊滅させるバイオテロだということに気が付く。狡噛と袂を分かった公安の常守は、シビュラシステム自身からシビュラの真実を聞かされる。今まで聞かされてきた、人間の意志に依存しないスーパーコンピューターによる、公平公正な社会システムの真実は、凶悪犯罪者を含む、填島のような犯罪係数の特定が出来ない人間たちの脳を、200以上も統合させ運用している演算システムであったのだ。その真実を見せつけられながらも常守は、人々が形成する社会というものを信じ、填島を殺そうとする狡噛と槙島の再逮捕へと急ぐのであった。

―僕は”人の魂の輝き”が見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。―
―だが己の意志を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、果たして価値はあるんだろうか?―


ここ最近で観たテレビアニメでは、近未来SFものとしてかなりの完成度だと感じました。
世界的に有名な『攻殻機動隊』や『イヴの時間』、『‹harmony/›』(ハーモニー)などの作品のように明確なコンセプト問題提起が成されていたように思います。
設定が近未来ということもあり、監視システムが法律の役割を担っている世界観になっていますが、今現代の社会問題にも通じる部分があり、法律の在り方とは、正義の在り方とはという命題について、観る者に問い質してくるように感じました。
またアニメ第一期の総監督が、『踊る大走査線』の監督であった本広克行であった事もあり、公安組織における群像劇と魅力的なキャラクターは、観ていても心地良いテンポ作品が進み、キャラクター自身も生き生きとしていました。
作品の各所には文学的な要素も散りばめられており、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』やジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』という作品や、ジョージ・オーウェルやウィリアム・ギブスンなどの、SFファンには堪らない名前が登場します。
過去の偉大なSF作品のオマージュを取り入れることによって、キャラクター自体にも厚みが増し、往年のSF作品にも敬意を示していた事には好印象を受けました。
ただやはり近未来のSF作品であるが故に、犯罪係数という数値計測が、技術的に曖昧な部分が多かったように感じていまえたのは、少しばかり残念でなりません。

今回は紹介記事は、こんな感じです。
またも、記事の内容が長くなってしまいました…。
本当に申し訳ないです。
やはり自分が好きなモノを紹介する時は、話が長くなってしまいますね。
メディアツールとしての技術が発達したことにより、今現代は監視社会に近づきつつあるようにカリメン2号は感じます。
インターネットによる無許可の映像配信については、過去の記事にも書きましたが、ある程度の社会的なルールは必要不可欠だと感じています。
ただ、それが行き過ぎてしまうと『PSYCHO-PASS』(サイコパス)のような、均一化された監視社会にまってしまうのではないでしょうか。
次回のブログ記事が決まってませんが、早めに映画についての記事や映画評論をアップしたいと思っています。
しかしながら、自分自身の元気が持つのか、とても心配です。

カリメン2号

何とか戻ってこれた…。

2016年04月22日 10:37

前もって何の告知もせずに、このブログを個人的に休止していたのですが、何とか戻ってこれたカリメン2号です。
ブログを見ていてくれている方々には、本当に失礼いたしました。(見てくれている方がいるのかは微妙ですが…。)
ここ数か月は個人的なことが何かとあり、精神的にも落ち込んでいたので、殆どの事が手つかずのまま過ぎ去ってしまいました…。
生活スタイルや自分自身を取り巻く状況には変化がありませんでしたが、正直に言いますとヤバイくらいに情緒不安定になっていました。
今現在も完全復活とはいかず、親族関係のゴタゴタに巻き込まれたり、繋がりのあった友人との関係の変化などが複雑に絡み合い、言い知れぬ不安が心の内を渦巻いています。
カリメン2号自身の思考パターンや感情のコントロールにも、随分と変調を来しているように感じています。
自分とは相容れない考えや想いの親族に振り回されたり、大切な時間を過ごしてきた友人とも袂を分かったりと、ある意味で心の許容量がオーバーしてしまっており、脆くなってしまった自意識が、果たしてこれが正しいのかと迷走している日々を送っています。
とは言うもののカリメン2号が、ここのブログでアップする記事は、出来るだけ面白いものにしたいと思っていますので、成るべくなら精神的な話愚痴は避けていきたいと思っています。
まぁ、こんな独り言の記事を書いている時点で、説得力はありませんが…。
兎も角としてメインとなる記事は、やはり映画評論や作品紹介の記事なので、今後もよろしくお願いいたします。
頑張ってアップしていきたいと思っております。

今回のブログ記事は短い独り言になってしまいましたが、次回のブログ記事は何かの作品紹介か、映画についての記事をアップする予定です。
正直に言いますと今月の映画評論も、評論自体を書くことも、まだ精神的に無理かもしれないです。
何とか月に一本はアップしたかったのですが…。
本当に申し訳ないです。

カリメン2号